こんにちは。
山岸凉子の新連載、「レべレーション」は隔月連載ということで、
次回までずいぶん間があるので、
(といっても小学生の頃だったらたまらんが、
51の私にならまだそれほどの待ちでもないかもしれない)
何回も何回も読み返し、今後の展開を考えたり、
作者の意図を考えたり、コマのつなぎや、
構図を見直したり、
待ちが長いのでもうなんというか、しゃぶりつくしております(笑)。
で、表紙のこの絵は、もちろん、主人公である、
ジャンヌ・ダルクなのですが、
背景がよーく見ると、ただの黒ではなく、岩窟なのですね。
これはなにを暗示しているのだろう?
そしてジャンヌの顔をまた見直せば、
明らかに舞台映えするように化粧された顔ではないでしょうか?
黒のアイラインは歌舞伎の隈取のように深く、
私は見たことはないのですが、「白鳥の湖」の黒鳥を思わせます。
超大型連載、とあるので、隔月とはいえ、長く楽しませてくれるということ
ですよね?いまはそちらの方に期待大です(笑)。
ジャンヌ十三歳、啓示をきくまえの姿です。
大柄な少女、というのはなにかで読んだことがありますが、
そしてこの少女もお兄さんと二人、近所のちょっとボンボンなやつに絡まれれば、
なによ!とかかっていく勇敢さをもっているのですが、
まだやっぱりあどけないなあ。
この顔がどういう境遇を経て、表紙の猛禽類みたいな
顔になるのかがこれからの展開を示唆していると考えられます。
そしてラストシーンのこのコマのジャンヌが、
まるで舞台の照明を浴びて立っているように見えて、
はっ!と考えたんです。
これ、「テレプシコーラⅢ」じゃない?と。
「テレプシコーラ」~Wikipediaより。
2000年11月号から2006年11月号まで第一部が連載され、
2007年、第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。
その後、準備期間と『ヴィリ』の短期連載を経て、2007年12月号より第二部が開始された。
第一部は全10巻、第二部は全5巻。
一部の終わりには中2だった六花が、
二部では高校生になり、姉の夢だったローザンヌの舞台に立っている。
股関節のソケットが深く、180度開脚は難しいと医師に
説明され、落胆のあまりバレエを一時辞めたり、
厳しい教師にあたられれば動揺したりと精神的に
幼い子だったが、
姉の無念の死が彼女を変え、一部の最後には、
自分が振付した白鳥を踊るまでに成長していた。
その六花がそのコリオグラファーの才能を花開かせていくのが
二部。
そして一部の途中で行方が知れなくなった
空美(くみ)を彷彿とさせるローラ・チャン。
小学生時代の空美はおせじにも美人とは言えない、
男の子のような顔立ちだったが、
ローラ・チャンと踊りが似ていた。
で、ここは熱を押して大好きなコンテンポラリーの授業に
出て、「ジゼル」をアレンジした曲に「不安」の振付で
踊るという課題で、
頭に浮かぶステップが踏めず、情けなさと熱についに立てなくなった六花に
変わって、ローラが踊る場面。
同じ作者が描いているんだから似て当然でしょ、
という見方もできるでしょうが、
私はモーニング表紙の「レべレーション」のジャンヌは、
ローラ・チャン(=空美)じゃないかなーと思ったですよ。
ローラ=空美かどうかは最後まで確証は見せぬまま
物語は終わり、番外編として、バレエ留学をきめた六花と
ローラがおなじ学校になってしまった、というファンタジーのある
綴じ方を見せるのですが、
「テレプシコーラⅢ」のかわりに、山岸凉子は六花が
振り付けたであろうバレエとして、「レべレーション」を
描こうとしているのではないかと思うんです。
ちょうど「ガラスの仮面」の逆ですね。美内すずえは「ガラスの仮面」の中で
演じられるお芝居に、自分がほかで描こうとしていた作品を劇中劇の形で
つかっています。「二人の王女」は対照的なふたりの王女の生き方と、
これも対照的な二人の若い女優の演技への考えや資質を織り交ぜながら展開されていきます。
「レべレーション」というジャンヌ・ダルクを描いたバレエを六花ちゃんが振付したのだと
考えてみました。
啓示を受けるまでの幼い雰囲気のジャンヌは六花ちゃんが演じ、
男装の騎士としてシャルル7世を助け、やがてイギリス軍に捕まり、
魔女として火刑にかけられるまではローラが演じるのです。
ローラ=空美とは山岸凉子自身も断言したことはないのですが、
空美はかつて一度だけ出たコンクールで、伯母の須藤美智子の指示で、
「青い鳥」の男性バージョンを踊ったことがあります。
ジャンプ力は小五で現れた最初から、男顔負けでしたから、
誰も少女だとは気づきません。そのままコンクールの1位になったら、
みんな驚く、これは痛快、という美智子の思い付きだったのですが、
日本のバレエ界に対する意趣返しを姪でとろうと思ったのか。
また、彼女が空美だったら、ことさらに女性らしい振る舞いやコスチュームに
拒否感を持っているかもしれません。バレエのコンクールに出るためになんでも聞く?と
母親に聞かれてやらされたのは、「本番以外はなんでもOK」の撮影でした。
地獄を潜り抜けてバレエを踊つづけてきた空美だったら、
正義を信じて戦ったのに、天使の救いももたらされないまま火刑にされる
ジャンヌの無念を、おそろしいほど迫真に満ちて踊れるのではないか…。
と、次号まで妄想をたくましくする私だった。
いまの時代のバレエを描きたい、と思って「テレプシコーラ」が連載開始されるまで
10年かかったと対談でかたっておられた山岸凉子ですが、
ということは、
「テレプシコーラ」2部開始あたりですでに、ジャンヌ・ダルクを描きたいと
思っていたのでしょうか。