速さ=距離÷時間
の項を学習している息子ですが、
いままで文章問題はパズルみたいで楽しい(逆に計算問題は単調できついらしい)、
という感じでやっていたのに、
さっきキッチンで片づけや、発酵種製造をやっていたら、
キィーキィー、というヒステリーを起こした声が。最初は冗談かと思っていたら、本気みたいだったので、
中断して本拠地に行ったら、息子が算数の宿題にキレていました。
あらら。
問題は300mの坂道を6分40秒で歩きました。1分間に歩く距離は何メートルですか、
といういたって穏健なもの。
しかし、
割り切れない数字になって解けない!もう算数なんかやだ!と半泣きで荒れている。
この男はパニックになるとプリントを破ることがあるので、宥めながらゆっくりやらせてみる。
(というとできる子だったみたいだが、漢字がクラスでいちばんできない男子と張り合うくらい書けなかったので、できない子カテゴリーでした)
小2の時にひとりでドリルをやっていて、どうしても自分の出した答えが最後に載っている解答と違うので、納得がいかず、出版社に電話したことがあります。
(親がよく許したなあと思うけど、親は勉強がわからないのでやりたいようにやらっせてくれた~っていい話のようだが、そばにいる親が小2の問題でも頼りにならないってツライ)
電話してスッキリしたらなぜかスルッと解けたのでおかしかった(笑)。
でも、できないできない、と思いつめていると、頭がヒートしてますますできなくなるもんですよね。
300mを6分であるくと1分あたり50mだよね?
ってことは答えは50m弱だよね?
と話してから、途中まで一緒にやって、
途中から、分かった、と言って自分で解きました。自分で解きたいんだなあ。
というわけで冬休みの宿題の算数は完璧に終わった。唯一の得意科目(と本人は思っている)で解けない問題にあたったことがショックで、もう算数なんかやだ!と怒っていたけど、いまはiPhoneのYouTubeで和んでいるもよう。
出来なくて悔しい、という気持ちは大事だと思うけど、それを自分の力で乗り越える精神力が弱い。
まあ学力がないっちゃあそれまでですけどね。同じような問題を解いてきて、集中力が切れたのかもしれない。
坂道をひとりで上がるだけの楽な問題でこれだったら、
上りと下りがあって、向こうから知り合いが自転車でやってきて出会ったのは何時何分でしょうか、なお途中で休憩10分をとりました、
なんてことになったらどんだけパニック?
いや、大人の算数問題なんかに載ってる問題なんですけどね。数学の才能はないんだけど、算数が好きな親としては子どもに算数なんか嫌いだ、と言われると寂しいので、
嫌いにならないでほしい。
漢字は当時の私の方がひどかったので、息子は「お母さんが漢字があまりに書けなかった話」をしてもらいたがる。ホッとするんでしょうね。
私は大人になってからまずまず書けるようになったので、漢字なんていつか書けるようになるさ、と楽観していたのですが、
息子はワーキングメモリのなさの方が問題なんだなあ。
私は板書をノートに書き写すのにそれほど苦労したことはないけど、息子は板書は無理だろう。あれは結構メモリが必要な作業らしいよ。
(でも過眠症なのでつねに眠くてノートの字が読めないというのは始終だった。息子は授業で寝たことは一回もないらしいので、すごいなあ…レヴェルの低すぎる親子なのだ)
だからiPad授業や、iPhoneで板書をうつすことを許可している学校とかいうニュースを聞くとホッとするし、将来に希望を持てるわけよ。板書がダメならスマホがあるさ!
まあ障害の限界っていうこともあるのだが、その限界がどこにあるかは、誰にもわからないので、苦手なことも有る程度やらせて探ってみないとな、とも考えているんだけど。
ってぼちぼち買い物に行ってこなきゃ!