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「ホドラー展」の図録を読んでいたら、

(私もたまには文字の書いてある絵本も読むのである)

なんと、ホドラーの絵に比較して、黒田清輝の「智」「感」「情」が
登場。図録の解説では小さな白黒の図版ですが、手元に
黒田清輝の図録があることだし、比較してみましょう。

これも物議をかもした絵だったんだよなあ…ヌードってことだけで。
ま、それはいい。



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問題は真ん中のこの女性のポーズですよ。

べつにキッチンにおける食洗器のサイズをこのくらいだったわね~
とかやっているわけじゃないが、

たまにそんな吹き出しをつけて遊びたくなる。真面目すぎて。


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ほら、このポーズである。



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盛岡の古本屋さんで500円という破格で手に入れて重宝している、
「黒田清輝と萬鉄五郎展」図録であります。

はじめて図書館で見たときは、なにこれ!痒い所に手が届くような図録じゃん!
と夢中で読みふけったものです…もちろん、絵本として。


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ところで、黒田清輝ですが17歳で渡仏。フランスで法律を
勉強する…はずだったのですが、絵がうまいのでそちらにスカウトされ、

ラファエル・コランに師事する。コランの絵はまだ2点しかみたことがないのですが、
外光派といわれる、陰影のつけ方が紫っぽい印象派と優美な象徴主義の折衷的な画風です。

フランス留学最後の年に、師匠のコランに紹介状を書いてもらって会いに行ったのが、こちらのシャバンヌ。

私も最近まで知らなかったのですが、春にBunkamura ザ・ミュージアムでシャヴァンヌ展がありまして、
黒田清輝をはじめ、藤島武二や青木繁、岡田三郎助らにも影響をあたえていたことがわかり、いやーーー、
勉強になりました。


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そしてこれである。

シャヴァンヌの「働く男」。

いやちがった
≪槌を持ち上げる裸の男≫。

「労働」のための習作のひとつです。


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で、こちらがシャヴァンヌを敬愛する、ホドラーの「木を伐る男」。


なんかこのムーブメント、似てませんか?


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さて、ホドラーといえば身体表現である。リズムである。

ということで、こちらはバレエ・リュスの「牧神の午後」

もちろん、牧神に扮しているのはニジンスキー。

いやどうしたって山岸凉子の「牧神の午後」を連想しちゃうよなあ。


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こちらもバレエ・リュス。

おお、この並んだ感じ、似てるぞ似てるぞ。

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ホドラーの「オイリュトミー」 1895、

オイリュトミーとは、ギリシア語で美しいを意味するeuを、
リズムの語源であるrythmosに加えた概念であり、


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「よきリズム」「調和あるリズム」を指すということですが、

その女性のヴァリエがこちらです。

「感情 Ⅲ」 1905

ホドラーは絵の構図を決めるために、習作として描いた人物の形態を
「型紙」としてきりぬき、それを平面に並べてコラージュすることで身振りのイメージの
位置を決めていたそうですが、

その考え方型染にも似ている気がします。

しかしこの並んで歩いている女性の姿は

なにかを連想させる…。


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関根正二「信仰の悲しみ」 1918年


ホドラーの日本への紹介は、「白樺」にて、

1910年10月、

1914年8月の2回、


「美術新報」1914年1月では、

ホドラーの作品が7点紹介され、
≪夜≫がシャヴァンヌの主催するパリのサロン・デュ・シャン・ド・マルスに
出品され称賛を受けたことなどもエピソードとして記されている

はたして関根正二はホドラーを知っていたのか。
この絵とホドラーは関係あるのか、偶然そんな構図なのか。

目指したものはちがうとは思いますが、重ね合わせて見るのもおもしろいですよね。

ちなみにホドラーの前は、ポール・デルヴォーと比較してよろこんでいました。