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きょうも「リブートもりげき王」が見たくてやってきました、

盛岡劇場。


もちろん、これを書いている今は自宅でありますが、

できることなら実況中継したいくらい、楽しめました。


18日(木)の上演は、


「ハロー、ランデブー」 中村剛造


「SKINHEAD RUNNIN'」 皆川泰亮


アフタートークは 中村剛造×皆川泰亮 高村明彦 司会くらもちひろゆき


プログラムでは高村氏の名前はなかったのですが、

この4人でのセッションは偉そうで申し訳ないが、非常に楽しいカルテットになりました。



「ハロー、ランデブー」


中村剛造氏の作品は、なんと劇団最終公演である、「code-36」しか

見たことがないのですが、それが凄く印象的だった。マーブル局としての

作品はそれだけしか見ていないのですが、中村氏は様々な作品に携わっており、

あ、この演出は中村氏だったかな、とわかるほどのいまどきの言い方をするなら、


エッヂの利いた個性。


をもつ劇作家であり、演出家でした。



その中村氏が今回はひとり舞台の主演として、

いわば、自作自演をやるという。


パンフレットから引用しますと、


「戯曲大会(戯曲リーディング&ブラッシュアップWS」11/23(日)13:30~16:30@盛劇タウンホール)でリーディングしたものは3人芝居でしたが、大人の事情で1人芝居へ書き改めました。公園、マンション、覗き、スマートフォン、冬。


このキーワードだけ残し書き換えました。

一人芝居ではありますが、演じる自分自身下手な役者ですし、一人芝居特有の饒舌な語り口を幾分か払拭したい、これが作劇における課題でした。」


そう、今回の「リブートもりげき王」の3組、



「ハロー、ランデブー」 中村剛造


「SKINHEAD RUNNIN'」 皆川泰亮



「乙女の恋バ(「乙女の I my モコ×2」改題」 清水大樹



はこの「戯曲リーディング&ブラッシュアップWS」参加作品だったのでした。


戯曲リーディングは岩手芸術祭戯曲大会の中のイベントでして、そちらでブラッシュアップを受け、改訂した作品を上演となったのが、今回の「リブートもりげき王」。


今夜は先攻が「ハロー、ランデブー」。


皆川氏の「SKINHEAD RUNNING'」とは違って、まるっきり

はじめて作品である。緊張する。見ているだけなんですが。



舞台にはベンチと、公園によくある、テーブルにもなるようなコンクリートのオブジェ(たぶん)、そしてそのベンチに生えた茸のように生息している謎の男がひとり。



男はiPadを駆使し、そこにはいない誰かと会話を続けている…。

どうやら、監視つづけているある家族の声を録音し、それに向かって

会話をしているようなのだ。


ずっとこごまって、顔を上げない。

公園のベンチに引き籠っているようでもあり、照明も暗く、

地中の中の幼虫じみた姿だ。


指先だけが、彼の愛してやまない家族の言葉をもとめつづける。

それはサルがエサとボタンの関係を覚えて、エサを求めてボタンを押すうちに、

ボタンを押すこと自体が目的化されてしまったという実験を思わせる。


「パパー」とクレヨンで殴り書きしたようなのたーっとした声の子ども。

「あなた、お食事にする?」と訊く、少し神経質なような若い妻の声。


彼は斜め45度のマンションを見上げ、そこに住む彼の理想の家族と

一緒に生きている。覗き見している家族に、いつのまにか同化しようとしている。


私の中にひらめいたイメージは、冬虫夏草ですねー。南方熊楠がすきで一生懸命に研究していたキノコなんだけど、生きている蝉や芋虫の背中にチャッと宿って、宿られた方はミイラのようになってしまうわけ。薬膳なんかにも出てくるんですって。いやたべたこともそんな機会もないけれど。


iPadやiPodを駆使しつつ、かれはずっとこのまま、公園のベンチの冬虫夏草か、

と思っていたら(それでは芝居としてあまりに退屈すぎるが)、


いきなり彼がずっと監視しつづけている家族の部屋を訪ねるのだ。

なぜならきょうは、メリークリスマス。iPadのペイントアプリに指で描かれた、

x,mas。


私はここまでずっと、孤独な男の自慰的な妄想、と思っていたのでまさかここで実際に行動を起こすとは!と意外でした。



しかし、彼が目撃したものは、あの夫の健康を気遣い、「ラタトゥイユと筑前煮と金平ゴボウ」(ゴボウがかぶってるなあ~と私はそこが気になる…すみません)をローテーションしていた妻が浮気!しかも、土建業の営業の男と!


ベンチ男は脚が悪いらしく、杖をついていたのだが、その杖を持ってマンション妻の浮気相手を殴り殺してしまう。おお、バイオレンス!ここでiPadからプロジェクターで映し出された、赤いラインの「Xmas」が効いてくる。


ある時はベンチ男の流す地になり、返り血になり、惨劇の象徴になるのだ。

うまいなあ!現代っ子(死語)だなあ!と思う。


しかし、怯えて震えていた妻も反撃に打って出る。


1人芝居なので、中村氏の演技でそこには倒れた土建業の男がいて、

浮気しちゃったマンション妻がいて、叩きのめしたり、不意を突かれて攻撃されたりしているのだ。


演技はうまくない、とパンフレットにあって、たしかに技巧派ではないのかもしれないけれど、見ていてハラハラする。惹きつけるものがある。この次はどうするんだろう、というか…(アフタートークで高村氏が同じことを話されていて、やっぱりそこか!と思った次第であります)。


ベンチ男はマンション妻に、小学校に行っている息子を家に呼び返せ、と命じていたのだが、その息子が最後に戻ってくる。


震える手にカッターナイフを握らせ、自分の頸動脈を思いっきり切らせる男。

しぶきを上げる血。


ベンチ男はそこで絶命…せず、また公園のベンチに戻り、監視生活をつづけるのであった。



「僕の家族が5回目の崩壊を迎える…」



っておい!



私はこれはベンチ男の妄想であり、斜め45度を見上げているうちに作り上げた

強固な妄想の繭の中でだけ、声を荒げ、バイオレンスに身を委ね、血を流す、

現実にはむなしくベンチで一日を過ごしている男の物語なのだと思ったのですが、


例によってそうじゃななかったみたい。でもいろんな想像をさせる余地があるお芝居ということだと思われます。


☆SKINHEAD RUNNIN'S☆


きのうとおなじプログラムですが、演出というか動きを変えてきたところがあり、

また私も眼が慣れてきたのか、きょうは首を吊った青年の言葉に頼らない演技に注目してしまいました。


一本角の鬼・皆川氏が蹴っ飛ばす瞬間をより際立たせるのは、そのブロックを鬼を警戒しつつ積んでは、見事粉砕されて悔しがり、空しくなり、憤る青年の演技が卓抜だからだときょう気づきました。


鬼がブロックを崩すパターンの中でも、きょうはスローモーションとセーラー服の女装鬼が見せてくれた気がします。鬼と青年の間に芽生えた感情もきのうよりもっと伝わってきました。


☆アフタートーク☆


きょうはサブ・プロデューサー、舞台監督の現代時報・高村明彦氏もまじえて、

4人でのアフタートークでした。


くらもち氏が進行をつとめ、高村氏が、皆川・中村両氏に質問をしたり、作品についていろんな角度から感想を話したり、それによってふたりの言葉を引き出したりで、興味深い内容でした。


鬼レディの鬼語はアドリブ?という問いに、皆川氏がすべてテキストにしてあります、というようなことを答えたのが意外でした。鬼の賽の河原のけり倒しや、それに対する青年の狼狽える様や、歯噛みする感じも、すべてテキストにしてある、というのが意外でもあり、納得がいくようでもあり、聞いてくれてありがとう~という感じでした。


中村氏が、じつは江戸川乱歩の「人間椅子」などがすきで、版権の切れる2016年に乱歩の背徳的な世界を芝居にしてみたい、と語ったのも青年らしい野心があっていいなあと好感を持ちました。私はヴァイオレンス的な傾向から、勝手に天童荒太の「家族狩り」を連想していたのですが、違ったようです(笑)。


また、中村氏は今回3人を1人に変えただけではなく、初演時には、


マンションのベランダからぶら下がって自殺している男がいた、

という設定だったというのを知って、


やっぱり私はなにか間違って見ていたらしい…と思ったんでした。


というわけであしたも見てみよう…でもあしたもなにかが変わっているかもしれないので、永遠につかめそうもない気がするんですけど。