「舟越保武展―まなざしの向こうに―」、岩手県立美術館では12月7日で終了しましたが、

巡回展がありますよー。お近くの方はぜひぜひご覧くださいませ~。



巡回先美術館(会期)

郡山市立美術館 2015年1月24日(土)-3月22日(日) 

練馬区立美術館 2015年7月12日(日)-9月6日(日) 

ってことは、来年の9月まで舟越さんは「道東の春」以外、
岩手県立美術館にはいないということですね。

松本竣介展のことを思い出すなあ。


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郡山市立美術館は岩手県立美術館と似た雰囲気の美術館だったなあ。

杉板のコンクリート枠の壁が特に。記憶力に自信がないので間違っているかもしれませんが、
群馬県立館林美術館にいたのとおなじ、鐘の上をぴょんこしているフラナガンうさうさがいたと思います。

まあフラナガンうさうさがいたのだけは確かですよ。

滝平二郎展で行ったんですよ。
大昔、「八郎」をストーリーテリングでやっていたからかなあ。


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練馬区立美術館は「あしたのジョー、の時代展」で。

よかったなあ…。
変な考え方かもしれませんが、行ったことのある美術館に巡回するなら、
なんとなく安心…安心ってなんだよ(笑)!


練馬区立美術館は階段があるから、彫刻の移動が大変そうだなあ…なんて心配まで
しちゃってる私。おいおい…。


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さて、上は今回の「舟越保武展」図録の「シオン」、

下は北海道マラソン会場の、大通公園にいた「シオン」。

ポーズもファッションもちがうんですけどーっ!

この謎はいつか解けるのでしょうか。


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さて、きのうの「美術の楽しみ講座2014 失われたものを求めて」
第2回、「彫刻家・舟越保武―その視線の向こうに―」
大野正勝氏(岩手県立美術館学芸普及課長)

で私にはいちばんしみたお話は、能面です。



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私が能面に興味を持ったのは、小説からなのですが、赤江瀑の
おかげで孫次郎という女面を知ったり、倉橋由美子の連作で、
シテとかシテツレとか、能面の顔(というのも変だが)もずいぶん
覚えました。


きのうの講座のなかで、「T嬢」という、じつはあんまり気に留めていなかった
彫刻の、表情、特にまなざしについて、

能の増女のような、という例えが出されて、

増女ってどういう意味の面だったっけ、と、
きょう、三井記念美術館所蔵の「能面」の図録をひらいいて復習タイムをもちましたよ。


増女は「羽衣」「三輪」などに用いられる天女や女神に用いられる面で、
それだけに臈たけたうつくさとやや冷たく見える。

おお、女神か!

まさしく!

と腑に落ちた私でした。


能面は角度によって表情や雰囲気がずいぶんかわりますが、
舟越保武の静かな表情を湛えた彫刻の人たちは、能の面のように、

見る角度によって、

あるいは見る人の心情によって、いろんな顔に見える…。




その後、「能面」の図録をめくって、かねて気になっていた、
「原の城」の顔に似ている面も探しましたよ。


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こちらは図録の「原の城 頭部」ですが、



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おなじ彫刻を私が撮影したもの。iPhoneですけどね。

企画展では撮影禁止ですが、それよりだいぶ前に常設展で
見たときに撮っていたものです。

iPhoneの膨大な画像から探し出しました(笑)。

この頭部の像の中身が空洞になっているうえに、

後頭部にも穴があいているので、
あ、能面!ときのう気づいたんです。






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「原の城」は後頭部に穴は貫通していません。

でもこういう表情の能面をたしかに見たことがある気がする…。



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「痩女」です。うつろな眼差し、やや開けた口元は幽鬼のようです。

「瘠男」の面でもっと似たものを見たことがあったのですが、三井記念美術館所蔵の
痩男はちょっとちがうんだなあ。

どういう物語の面かというと、

「痩男と同じように、冥界の苦患の中にある幽霊の相を表す面である」

おおお、やっぱり。

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こちらは「葵上」の生霊や「鉄輪」に使われる、
「泥眼」。

金泥を施した眼と、黒目部分が刳り貫かれているのが特徴ですが、

連想したのは、「ダミアン神父」の不思議な眼の表現でした。


ただの刳り貫かれた穴で表現した眼ではなく、中心に孔が空いているんです。


「泥眼」の面は女面ですが、この世のものではない、ダミアン神父の聖性を
表現するために能の面にヒントを得たのではないか、

いや、ヒントというものではなく、この「泥眼」の面を打った能面師と同じ答えに
行きついたのではないか。


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そしてこちらが萩原朔太郎ですが、

作家の自伝 『萩原葉子』(日本図書センター)


有名な横顔のポートレートより、
萩原葉子(朔太郎の長女)の顔にむしろ
そっくりじゃん!と思うのは私だけでしょうか。

1955年、まだ葉子は「天上の花」を書いていない。
「蕁麻の家」を書きあげるのは1979年。

この朔太郎の頭部像が出来上がったときの葉子は、
まだ萩原葉子になるまえの萩原葉子だった。


1959年、「父・萩原朔太郎」を上梓するまで、
この頭部像が葉子になにがしかの力を与えたのではないか、

と考えてみるのが私はすきだ、というだけのことで、
確信があるわけではないのですが。



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きのうの講座では、真正面からの「隕石」をスライドは映し出していました。

私は真横からの「隕石」がすきだったので、真正面からみるとずいぶん、
頸が太いなあ、やっぱりこれは青年のように思えるなあと思ったのですが、

きのう、講座を聞きながら、この「隕石」に対しての自分が感じていたものを
やっと掴めました。


これは舟越保武のなかに眠っていた、まだ舟越保武になるまえの舟越保武。

あるいは、舟越保武がこれから彫るすべての石の象徴。

石は眠っている。

自分を石の中から掘り出してくれるものを待ちながら、

自分に心を与えるものを待ちながら。


そして舟越保武になることを待っている。

そのまどろみは原始からはじまる、永遠のように思える、
永い永い時であり、

一瞬でもある。

永遠であり一瞬であるものを、
舟越保武が彫ることを、この像になる前の石は待っていたのだ。


岩手県立美術館の代表的な三人、萬鉄五郎、松本竣介、舟越保武のなかで、
舟越保武だけはどうも近づきにくいと思っていました。

この2か月の「舟越保武展」で、企画展を見たり、ギャラリートークに参加したり、
関連イベントや館長講座、美術の楽しみ講座に参加し、

また、舟越保武が彫刻家をめざすきっかけとなった高村光太郎の「ロダンの言葉」は読んでいないのですが、
静岡県立美術館のロダン館でロダンの彫刻にはじめて、いいなあ、と思ったことや、

宮城県立美術館の佐藤忠良記念館に行ったことも、

舟越保武に何歩か近づく力になった気がします。


岩手県立美術館にもどってくるのは来年の秋ですが、それまでに
また一歩ずつ近づいていけたらいいなあ。

とりあえず、一戸町アートツアー企画中。Twitterでいろいろおしえてもらったのですよ。




そしてネット検索していたら、岩手県立美術館 学芸員の吉田尊子さんが
いちのへドッキドキFMで舟越保武について詳しいお話をしている記事を発見☆。


風邪を治したら、行くぞー!

ではでは♪