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おでってプラザにて、

「第13回大人のためのお話会」を聴いてまいりました~。

本来こどものためのお話を大人に向けてするのは、

お話の楽しさを大人が味わって、それをまわりの子どもに伝えたいと発奮してくださることを期待して、

といううれし野こども図書室主宰、高橋美知子さんのはじまりの言葉から、

お話会がはじまりました。


最初からお話ではなく、

発声練習ということで、

谷川俊太郎の「かっぱ」

(かっぱらっぱかっぱらった、という耳覚えのあるあれです)、

つづいて、こちらははじめて聴いた、

まど・みちおさんの

「がいらいごじてん」。

口を動かし、耳を澄まし、これで準備体操OK。


プログラムは、

1 発声練習 皆さんご一緒に

2、かちかちやま

3、世界でいちばんやかましい音

4、山の上の火


4年生の頃、学校でこの「山の上の火」を誰かの声で聴いたことがあったのです。

担任の先生だったのか、図書室の先生だったのか、よく覚えていないんですが、

最初が耳から入ってきた物語だったので、40年ぶりに耳をすまして聴くのが楽しみでした。

プログラムは最初にもらって、すぐフォルダにしまっていました。


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語り手がどの本を手にして舞台に向かうか、それを知らない方が子どものように楽しめると思って。


物語を聴きながら、子どもの頃は「山の上の火」を知恵比べの物語として理解していたんだなあと思いました。

大人になって聴くと(その間に図書館から借りて2回読んだのですが)、

もっと様々なことを自分の人生に照らし合わせて考えるのです。


ケチで退屈を持て余した主人の与えた課題にチャレンジを申し出た男の子は、

凍りつきそうな山の上で、遠くに見える、自分のために一晩中焚かれている火を見つめて耐え、召使の身分から畑と牛と山羊をもらってひとりの農夫になれる希望を描きつづけます。

それはマラソンにも似ているなあと思ったんです。フルマラソンは42.195kmあって、まあ、短い距離ではないです。でも走り出さなければゴール出来ない。

応援してくれている人たちは代わりに走ってくれたり、距離を縮めることはできないけれど、応援してくれている人がいて、ゴールで待ってくれている人がいることが背中を押してくれます。

遠くにある火の暖かさを信じて走りつづけるのは、人が人であるからだという気がします。想像力が困難を打ち破る、

「山の上の火」は何も持たない人間が、その中から立ち上がる姿と、

きっと誰かが見守ってくれているということを気づかせてくれる物語でした。




ティータイムには、コーヒー紅茶などとお菓子が出されて、

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手作りのクッキーを久しぶりにたべました。

ロウソクの形のクッキーがお話会らしくていいな~と思って。ほかにもいろんな形があったみたい。


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お話会は朗読ではなくて、お話を暗記して、自分の声で語るのですが、

朗読というか本を持って話すと声がまっすぐに響かないのですね。そして顔が本に隠れてしまう。

また、

お話を本がなくても語れたら、もし、なにかあって真っ暗闇のなかにいたら、お話を語ってホッとするひと時を作り出すことができるかもしれない。

震災のあとはやっぱりそういうことを考えてしまいます。


うれし野こども図書室では東日本大震災からずっと、沿岸を訪れ、陸前高田こども図書館「ちいさいいおうち」分館を設置したり、

ずっと本とお話の力で沿岸を扶けようとしてきた団体でした。その活動についてすべて知っているわけではないのですが、

きょう、お話をしてくれた方の中に、沿岸からいらした方もいて、

その学ぼうとするエネルギーの強さについて、最初に高橋さんが語っていたのは、

このことだったのだな、と。

ティータイムを挟んで、

5、さきざきさん

6、子うさぎましろのお話

7、ホレおばさん

8、ノックグラフトンの昔話

本で読んだことのある物語でも、耳から入ってくるときは言葉のひとつひとつが内耳を通って心の襞の間にしみこむようで、

こんな物語だったのか、という発見があります。

「世界でいちばんやかましい音」では、世界一やかましいことを誇っていた国の王子様の誕生日に、世界中のひとが一斉に祝いの言葉を大声で叫ぶ、

その世界一やかましい音を、自分だけは口を動かして声を出さずにいて聞こう、

とみんなが同じことを考えたために、

かつてない沈黙の瞬間が王子様の誕生日を訪れたのでした。

誰かがやってくれる、という依頼心と怠け心を鞭打つような静けさでしたが、その続きがよかった。王子様は生まれて初めて小鳥の囀りや風が渡る音を聴いて、しあわせだったのです。


こどもって、大人がもうダメだ、と諦めているような時に、思いがけない言葉を口にして救ってくれることがあります。

それを思わされました。

「ホレおばさん」については、ほんとうは出来のいい娘もブサイクな上に怠け者の娘も、どちらも血の繋がった娘で、

後家のおっかさんは素直で働き者の娘が眩しく、自分に似た怠け者娘を当てつけるように可愛がったのかもしれない、

と考えてしまいました。そういう物語じゃないんですけどね。

知っているお話も知らなかったお話も、

耳を澄まして聴く経験は、物語の命を感じさせてくれます。

この会にまた来られるといいなあと思います。


ではでは☆