講師は主任専門学芸員の根本亮子さんで、
いままでにも萬鉄五郎のギャラリートークなどでお話をうかがったことが
あります。
現在、常設展第3期で、「萬鉄五郎の版画」(~2015年1月18日)が開催中で、
この講座は楽しみでした。
しかし、私は版画というものをいまひとつわかっていなかったことが判明…。
彫刻もひとつの型で何個も(限りはあるだろうが)おなじモノが作れてしまうという
ことを知ったのが2年くらい前。
版画について、私はたぶん「クローン」と考えていた気がします。
萬鉄五郎の版画作品はいま確認されているものは
23作品あるそうですが、
作品自体の個体数はもっと多いのではないか、ということでした。
美術館所蔵の版木だけがのこっている作品。
印刷物(雑誌など)が残っているものはもっとあるので、
100点ほどはあるのではないか、というお話でした。
ここでやっと私は、
版画イコールクローン
じゃないらしい、と気づきました。
浮世絵では、絵師、彫師、摺師の分業制で、絵師が摺りに注文を出すことはあったと
思いますが、
萬鉄五郎のやっていたのは、
自画・自刻・自刷
の「創作版画」でした。
創作版画の先駆者、石井柏亭、山本鼎が「方寸」を発行。
近代は印刷技術の発達にしたがって日本の版画が衰退していく。
版画にしか表現できないものを作ろうとしたのが、
創作版画だった。
この考え方は、民藝運動にも通じるものがある気がします。
常設展示室にはいま、萬鉄五郎の版画とともに、版木も多く展示してあるのですが、
この版木はかなり変わっています。
色ごとに版木を変えて刷るのが一般的ですが、
その版木が一枚の板に…。
不精なのか、材料費がなかったのか、それとも萬さんらしい、
チャレンジャー精神でやってみたかったのか。
この版画は「芸術座舞台装置」ですが、
幕の後ろにあるのは背景のピサの斜塔など。
萬鉄五郎が友達とともにやった芸術座の舞台装置の仕事ですが、
萬さんは舞台装置を、友達は背景画を引き受けていたようです。
そしてこちらは、「太陽と道」ですが、
おなじ版木で色を変えて8点あるそうです。
これはかなり特殊なことらしく、しかも、右下の黒のインクのものだけが、
裏返すと紙が全く違っていて、これだけ裏うつりしている…。
ということはこの黒のインクのものだけが違う時期に摺られたということなのでしょうか。
おなじモチーフを繰り返し作品化するということが萬さんは多いのですが、
「T字路」のモチーフは、
木版画、水彩画、油彩と広がりをみせていて、
技法の違いによる表現の効果を試している、という指摘に
納得しつつ、
もしかしたら、木版画を彫りながら、
彫刻もいけるんじゃないか、くらいのことを考えたかもしれないな~と
思った私です。「男」は油彩、素描、版画、そして油彩と展開し、進化していく
モチーフですが、最終形の「男」は油彩なんだけど、重量感があって、彫刻っぽく
感じられる…。
最近読んだマンガに、絵はヘタだが、ずば抜けたマンガの才能(構図、ヒキ、吹き出しの位置、ストーリーなどはすばらしいのだ)をもつ新人マンガ家が、
次々とイメージが溢れて手が追い付かないのがもどかしい、と語る場面があったのですが、
そんなもどかしさが萬鉄五郎にはいつも溢れている気がします。
銅版画作品はあまり数がなく、しかも短い期間で終わったのも、
うすうすそうじゃないかと思っていましたが、
銅版画の制作プロセスが萬さんの作風に合わなかったのではないか、
というのに納得してしまいます。
しかし、ほんとうに自分はなにもわかってないなあ~と思いながら
講座を聞いていても、人が話すことなのでまるっきりわからないわけではなくて、
専門的なことを話しているとしても、聞いていて全部わからないということはない。
だんだん聴いているうちにその世界の文法が入ってくる感じです。
それにしても浮世絵から木版画に移るあたりの明治~大正のひとの意識って
どんなだったのかなあ。