私は≪国宝鳥獣戯画と高山寺≫を会期ぎりぎりで見たのですが、
後期の最後の展示がこの狩野探幽の「鳥獣人物戯画摸本 探幽縮図のうち 一巻」(京都国立博物館蔵)でした。
(その一部分です)
狩野探幽、私は思い込みだけでなんとなく、
影が薄いひと、のイメージだったのですが、
ほら、幽かな、という字ですから…、
とんでもないことで、
ゼネコン狩野派の若き総帥だったのでした。
私は金ぴかがすきなので、勉強のつもりはなく、金ぴかについての
本だじゃ!と思って買ったのである。
そしてこの本をきょうこそ、探幽って誰?なにもの?という謎を解くべく
読もうじゃないか、と思って読み始めたら次々明るみになる事実。
「二条城障壁画総数、約一千面。しかも天守閣、本丸御殿は消失しているから
当初はさらに壮大な規模だった。」
それを率いたのが若き総帥狩野探幽だった。
探幽は狩野永徳の孫にあたり、江戸の軽みの創始者。
「やまと絵、中国がを含む古画学習や写生とも取り組み、
その成果である膨大な量の「探幽縮図」や臨画帖の数々は
近年再評価されている。
この探幽縮図というのは、彼が鑑定した折の手控えにあたるもので、
全容を把握しきれないほどの膨大な数量が各地に遺る。
鑑定家・探幽の人気の高さが偲ばれる」
そして江戸・二条城だけではなく、
焼けてしまった狩野派作品・名古屋城、
といコラムも本書にはあるのですが、
「名古屋市では、遺った襖絵などの模写を進め本丸御殿を復元する計画が具体的に
進められているらしい」
とあり、本書の初刷は2004年10月。
じゃ、その復元が進められているというのはもしや!
この復元中の本丸御殿をみせてくれるのは、たまたまだったのか、
つねに公開だったのかよく覚えていませんが、
きんきらきん好きの私が喜ばないわけがないでしょう。
アメリカ空軍の空襲を受けて1945年5月14日、名古屋城は消失。
「しかしとりはずしのできる襖絵や障子腰貼付絵、杉戸絵など三百数十面と、
格子から外した天井絵七百面、あわせて千数十面が空襲に備えて疎開されていたため
消失を免れた。
その後、大切に保存され、現在では天守閣内の展示室で拝見することができる。」
しかし、はめ込み式の床の間や壁は全焼してしまった。
虎さんたちの障壁画だから、第一期ですよね。
第一期メンバーは狩野光信(永徳の子)の後継で18歳の貞信、孝信(探幽の父)、
甚之丞(永徳の甥)たち。
こちらは、三代将軍家光の上洛にそなえて増築された
上洛殿の四季花鳥図かなあ。
第二期は狩野探幽によって描かれているそうです。
その時もキャプションはあったと思うんだけど、
わー、まばゆい、きれい、鮮やか、すごい、
で終わってしまいました(笑)。ミーハー。
でも、本で読んでからなにかを見るより、
わぁ、すごい!
と思ってから本をよんで納得する、方がいまの私には向いている気がするな。
それにしても、よしながふみの「大奥」がつよすぎて、
ああ、家光が上洛するとあってはそれは気を遣ったよなあと、
どうしても女将軍家光しか浮かばないのであった…。