うっ!!
山形美術館のすぐ近くにこんなおもしろい建物があったのに、
なんで入らなかったんだろう私…今年は山形に四回も行ったのに山形駅から
すぐなのに!とガッカリ…。
でもまた行ったときに会えばいいさ。
と思えば、吊るし雛がすきで福岡の柳川まで行ったんですが、
そこでたまたま入った、柳川藩主立花亭 御花。
こちらの西洋館の御庭にもお雛様たちが出ていて、それもよかったなあ。
洋と和を「ハレ」と「ケ」で使い分ける邸宅のことを、和洋併置式といい、
起源は明治の最初期、旧大名が自分の昔ながらの屋敷の一角に西洋館を
くっつけ、外国人を迎えたのが最初だった。
とはいえ、その旧大名たちの邸宅の実例はここ柳川の御花しか残っていない。
「明治の新政権は全国すべての殿様に旧領地を捨てて新東京に住むように命じ、
それに従ったのに、国許で農業改良に尽くしたいという立花公の真摯な情熱が明治天皇の
心を動かし、特例として許されたのだった」(本書から)
そういえば、応接間は洋風でお客さんが来た時、和室の居間、茶の間は和室で家族がくつろぐところ、
という使い分けは、昭和40年、50年代まではあったような気がするわ。
あ、ちょっとだけ金持ちのうちでね。うちは建て替え前も後も、応接間なんかなかったなー。
いまもないし、ソファーはバラバラにして、すきなように置いて使っていますわ。
ハレとケのない、けじめのない暮らしってことですね。
モエレ沼公園も行ったー。
この本を読んで、ガイドにして行ったわけじゃなくて、
読んだことは頭のどこかに残っているんだが、
帰ってきてしばらくしてから、ああ、そうか、こういうことか、
と突き合わせてしみじみしたり、する読み方です。
「アンパンマンミュージアム」もいったなあ。
香美市立やなせたかし記念館。
この美術館のあとに、やなせたかし先生と奥様が眠るお墓にも
行った。物凄い雨で、タクシーの運転手さんがいろいろ話してくれたり、
気遣ってくださったことが忘れられない。
ああ、
丸亀市猪熊弦一郎美術館だ!
夜、駅からタクシーに乗ってここを通り過ぎると、
あの謎のちくちくしたオブジェがけっこう大きいので、
なにごと?と思う。
オブジェもいいけど、壁画がよかった。
あの大きな壁に描かれたのをみると、すごくいい。
「それにしても、プロの絵かきがよくこれだけヘタな絵を
描けたものだ。本当に腕の立つ画家だったんだろう。」
という藤森さんの言葉も、この本を読んだときはまだ、
猪熊弦一郎を全然しらなかったからわからなかったけれど、
ほんとうにほんとうに絵が上手かったからこそ、この絵に到着できたんだろうなあと思う。
アンリ・マティスにお前の絵は上手すぎる、と言われて若いころは苦しんだそうです。
札幌市時計台、山形県郷土館文翔館、築地本願寺、国立代々木競技場、
奈良国立博物館、
などなど、行ったことのある建物もけっこうあるんですが、
知らなかった建物や、行きたいと思っていた場所や、
絵の中の建物の謂れを知ったり、
読んでいると日本をあちこち旅し、日本の歴史を明治から平成まで、
藤森さんが船頭の舟にのって流れていくようでもある。
って、
私は去年の夏に、何を思いけん、愛知まで、あいちトリエンナーレ2013に行ったのですが、
名古屋市美術館会場の庭に宙づりになっていた、
「空飛ぶ泥舟」に入らなかったら、藤森さんのことを知らないままだったと思う。
おかげでもともとすきだった、明治大正の西洋館や擬洋風建築がさらに好きになったのだった。
たぶん、本場に行って西洋館(本場だから西洋館とは呼ばないと思うが)を見るより、
私は明治・大正の「日本の西洋館」や大工の棟梁が横浜などにでかけてつくった、
犠洋風建築が愛しいのだ。懐かしいのだ。
たぶん、子どものころ小学校の近くにあった天文台がそんな感じだったんだよなあ。
白ペンキ塗りの簡便な洋風建築を下見坂コロニアルというそうだけど、たぶん、それじゃないか。
と思っているんだけど、記憶の中にしかないので、違うかもしれない。
ではでは♪