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いやー、ずっと書こうと思って先延ばしにしていた、
三岸好太郎記念美術館であります。

図録をみるたびに、ぼちぼち書かないと私の中で
なかったことになっちゃう!と思っておりました。







北海道立近代美術館と道を挟んでお向かいです。

といっても、北海道のスケールなので、ゆったりしておりまして、



(デジカメの画像の方が回転させられなかったりして、
iPhoneより使いづらいのはなぜだ)





三好好太郎記念美術館の看板のあるところから入っていくと、

大きな広い、樹木と小川と、石彫のある公園になっていまして。






最初、こちらが美術館かな?と思ったのは、
知事公館でした。スイスの建物みたい。


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私はこの美術館に入るまで、
じつは三岸好太郎について全然と言っていいくらい、知らなかったんです。


ただ、北海道にくるすこしまえに、宮城県美術館で、
好太郎の奥さんの三岸節子さんの絵を見て、すごくいい、と思って、

北海道立近代美術館のあと、四季の「オペラ座の怪人」を見に行くまでちょっとは
時間があるから、見ていこうと思ったんです。

で、入ったら、予想外にいい!


作品もよかったけれど、建物や、館内のスタッフの方々の雰囲気作りもよかった…。


夏のあたりは日本のシュールレアリスムが私の中でブームだったので、

(私のブームは、ほんとうに孤独なマイブームですが、繭の中にこもって、
自分の妄想の糸にくるまっているような「やすらぎ」があるです)

おお!日本のシュールレアリスムじゃが!と思って。



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…三岸好太郎は明治36年生まれで、昭和9年に夭逝しており、
画家として活躍したのはわずか10年でしたが、

そのわずか10年にもう、誰の影響か丸わかり!でバサバサと
影響を受けてはそれを脱皮して、新しい画家に影響を受け、

最後には誰の絵でもない、三岸好太郎の絵になってしまった。


私には三岸好太郎が蛇のように思えました。どんどん脱皮して、脱皮して、
蛇が最後には虹になったんだなーと。虹は蜺と雌雄の番で、大きな蛇または
龍がなったものらしいです。ほんとか。

この初期の赤い服の女の子は、アンリ・ルソーと彼が傾倒していた岸田劉生の
影響が濃厚ですが、手に持っているのは黄色い檸檬というところがおしゃれだ。


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…このでかい目玉の女の子ですが、目をほそーく描くとあら不思議!

劉生の麗子像にそっくり、というキャプションがあり、吹きました。

「麗子像」そっくりだった子ども時代を経て現在に至るので、
麗子も麗子に似た女の子の絵も、まるで幼いころの自分のようで、

ぶきみでかわいい(笑)。



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ちなみに、好太郎が上の赤い服の女の子の絵を出した第一回春陽展、

萬鉄五郎も絵を出品していまして、その時はこちら。「荒れ模様」。

肺結核とノイローゼ、疲れから茅ヶ崎にくらしていた頃の、浜の絵です。


北海道出身の好太郎も、岩手出身の萬さんも、ともに東京に出て、
美術展に出品し、自分の絵を模索しつづけていたんだなーと思うと感慨深い。



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最初、女と男か?と思ったのですが、タイトルは「二人の男」

これはあからさまにジョルジオ・ルオーだなーと。

また、このルオー風の絵を描いていた時代、ピエロやマリオネットを
モチーフにした絵も多く手掛けています。


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「のんびり貝」というタイトルのシュールなシェルの絵。
独立美術協会展第4回展にほかの多くの作品とともに出品されています。

思わず英語の早口言葉を思い出しますね。
彼女は海岸で貝を売ってどうのこうのというあれですよ。


この「のんびり貝」を発表したのが3月、6月には奥さんの節子さんと、

大阪京都奈良を「貝殻旅行」と称し、旅しています。



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亡くなったのはその翌月の7月、

直接の死因は心臓発作とありました。

この「海と斜光」は福岡市美術館所蔵ですが、

いつか会いたい絵であります。