キタノカオリの山食でっす!
キタノカオリ、リンゴのルヴァン、砂糖(こだわって上白糖!)、塩(こだわりはないが、今回はたまたま
丹後の塩です~)、カルピス発酵バター(無塩発酵バター、という以外のこだわりは一切ありませぬ)、
盛岡の水道水(おいしい水が蛇口をひねるだけでじゃーっと出るこのありがたさ。
山形まるごとマラソンでも、「山形水道水」のペットボトルのサービスがあり、盛岡も、
「盛岡水道水」のペットボトルを出せばいいじゃ、と思った)
発酵時間はだんだん長くなってきて、1次発酵まで15時間くらいかな。
ぼちぼち保温箱(発泡スチロールにお湯の入った瓶を並べる)を使おうかしら。
で、スケッパー。
やっぱり金属製のものがいいっす!
やわなプラスティック製はカラフルはカラフルだけど、物足りなくて。
ちなみに、祖父がパン屋時代つかっていたもので、
子どものころから家にあったものを結婚時にいろいろ勝手にもらい、
(あとでケチな母からものすごいブーイングがあったが無視した)
現在に至る。
祖父のパン屋は戦後から私が生まれる少し前までやっていたらしいので、
このスケッパーも5、60年物ですかね。祖父の本職は板金工だったので、
じいさん、自分で溶接して作ったかと思ってました。
実際、祖父が自作した飴を煮る巨大な釜とか、型とか、
そんなものが私が子どものころはあちこちにありまして。
しかし、パン屋をやっていたといっても、しょせん、戦後まもなくやっつけで
立てたバラック(と祖母が始終いっていて、バラックをバルコニーの
仲間のように思って、すごく素敵だと思っていました…ちがうって)ですから、
建て替えしないと大変だったと思う。雨漏りもひどかったもんなあ。
で、てっきり祖父が器用につくった道具のひとつだと思っていたのですが、
ブランドらしいマークをきょう、発見しました。
ずっとミノルマークだと勝手に思っていてよく見ることはなかったのです。
あ、実というのが祖父の名前です。パン屋の名前に使ってもよさそうな名前ですが、
パン屋は梅林堂と名乗っていたもよう。和菓子屋さんみたいですね。
このマークの下に「ステンレス」とありますね。
で、マークですが、「G」にも見えませんか?
祖父は難聴だったので戦争にはとられませんでしたが、その時代のひとらしく、
ドイツ贔屓で、ジャガイモを好んでたべて、ドイツ人はジャガイモをたべているから
頭がいいんだ、とコロッケやポテサラが出るたびに、自分がドイツ人であるかのように
豪語していました。お前は純粋日本人だろ!
60歳くらいから見事な禿頭でしたが、その形は日本人離れしてよかったので、
毎朝艶出しに余念がなく、
ヴァロットン展では思わず、ミノルさん、と駆け寄ってしまう絵があった…。
形成まではボウルをさかさにかぶせて置けばOK。
このやり方を知るまでは、固くしぼったぬれ布巾、ビニール、キャンバス布の
三重方式でしたが、
家庭でつくるパンにはちょっとものものしすぎたのよ(笑)。
ではでは♪