体力に自信がないときは、高松公園のお池のまわりを2、3周するコース。
その中にも二つ、彫刻が目に入ってきまして、ほどよく離れているので、
いい目印になっております。
こちらは、舟越保武監修、増山俊春制作の「祈り」。
4人家族のお父さんは弟を抱き、姉は平和のシンボルである鳩を捧げるように
抱いて、お母さんはお父さんと同じ、はるかな彼方を見つめて微笑んでいる…
(iPhoneに方位磁針アプリが入っていたので、調べてみたら北を望んでいるようでした)
池を背に立っています。
1995年に設置されています。船越保武は87年に脳梗塞で倒れていますから、
お弟子さんが代わりに制作したのでしょうか。
もうひとつ、平和の像があります。
佐藤忠良の「平和」。
こちらの少女は向日葵を捧げ持ち、、池の方へ顔を向けています。
舟越保武と同年齢で、東京美術学校の彫刻科では席を並べ、
エッセイにもその忌憚なきやりとりが伺われ、親友という言葉はなにか、
ベタっとしてすきじゃないのですが、同士だったんだな、と感じられます。
舟越保武(監修ですが)と佐藤忠良の彫刻が一堂に会する高松の池!
という以上に、平和の意味が重いふたつの彫刻です。
佐藤忠良もシベリア抑留の体験者です。
私が子どものころは、「はだしのゲン」で原爆の恐ろしさを知り、
巴里夫の「赤いリュックサック」や藤子不二雄Aの「少年時代」で
学童疎開の厳しさや辛さ、残酷さを知ったものです。
でも、シベリア抑留についてはまるで知らなかったも同然でした。
零下30度だったら、外に出て作業をさせられ、零下20度が暖かく感じられるという、
想像を絶する酷寒と重労働、飢え。このマンガを読んでからやっと、
シベリア抑留についての目が開いて、「シベリア抑留」という
言葉が目に入ってくるようになりました。
おざわゆきさんんが描いた「凍りの掌」があったから、
「シベリア抑留」に対する目が働くようになったのだと思います。
佐藤忠良のこのエッセイを買ったのは少し前ですが、
「凍りの掌」に衝撃を受けて、佐藤忠良の「つぶれた帽子」に至るまでの
間に、
盛岡出身で藤田嗣治の弟子だった、澤田哲郎の展覧会を見に行って、
その時に澤田哲郎もシベリア抑留の体験があったことを知りました。
というようなことが、この二つの像を走っている間に脳内をフラッシュするんでした。
私は昭和38年生まれですが、いまでもそうですが子どものころはもっとバカだったので、
3年生だったか、えっ!戦争が終わってまだ50年も経ってないの!
と知って腰が抜けるほどショックだった。戦争って、もっと遠い昔のことだと思っていたんです。
星新一のショート・ショートに、戦争という言葉を徹底的にこの世から消し去ってしまえば、
戦争をしたいというものは二度と現れないだろう、という思想のもとに、
「セ」(戦争のこと)について少しでも疑問をもつ人間は捕まってしまう、
という世界が出てきます。
これもいまになってみると、星新一流の反語だったのかとも思います。
なにか話がとっちらかりました。
ではでは。