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―開館一周年記念展―
大観・春草・御舟と日本美術院の画家たち
速水御舟「木蓮」 久々の公開

会期2014年10月4日(土)~2015年3月31日(火)



やっぱり、この木蓮ですよー。

図録には、御舟の「木蓮」久々の公開にあたっての、
小林忠館長の喜びと興奮が伝わってくる言葉があり、


「上へ上へと延びる枝は健やかにゆるみなく、薄墨の線による葉や、
濃い墨によるつぼみや花の輪郭固い明晰ン形はあたかも貴婦人や高士の
姿にも通いあうような気品と優雅さとを備えている。

花木を描いて粛然と人を、そして自分自身を託さずにはおかない作画姿勢は
「炎舞」のそれと君を通じている」


小林館長の講演の中で御舟について語られたエピソードでおもしろかったのが、

非常な清潔好きで、箱根の温泉に泊まっているときなど、入るたびに体をこすり、
しまいには皮膚が破けて血がにじむほどだったということ。

「舞妓」では畳の目まで描かずにいられない描写は、土田麦僊に酷評されるほどでしたが、
その完璧主義が潔癖症につながっているんだなーと。「舞妓」は横浜美術館で見て、
大満足だった。

土田麦僊もすきな画家ではあるのですが、いいな~この不気味さがすきなんだよな~と
思っている甲斐庄楠音も穢い絵と酷評したそうなので、

なにかそういう酷評のしっぷりが気に入らなくなってきました(笑)。
絵はすきなんですけどねー。


しかしそんな完璧・潔癖でありながら、
それとは裏腹なのが、汚い悪戯をしかけるのが好きだったということ。


えっ!

潔癖症で汚ずき?鼻くそのついた饅頭を娘さんたちにたべさせて喜ぶような
ところがあったらしい。どんなひとなんだ御舟!


いままであの絵にだけ惹かれていて、どんなひとなのか、
知らないままだった。

好きといっても底が浅すぎるだろう。

でも、一点見るごとに「好き」のレベルがあがってきているので、
もう少し詳しい本を読んでみようと思います。


講演の中で、「炎舞」には美しいものに惹かれて魂を失ってもかまわない、という
御舟の心があらわされている、という言葉と、

絵の中になにかの生物が一匹だけいたら、それは
作者の分身であることが多い、ということで、


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速水御舟「紅葉」

御舟40歳の作品ですが、この紅葉の赤の激しさ、
啄木鳥がかすんでしまいそう。



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炎の中の蛾と、燃えるような紅葉のなかの啄木鳥。


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この御舟と同じころ松本楓湖に入門した小茂田青樹の、


「粟に蜻蛉」


岡田美術館のリーフレットのなかで、「木蓮」についで気になる作品でした。


近くで見ると、この粟の白いポツポツが胡粉で盛り上げたのか?というくらい

真っ白で際立っているんです。



青樹は御舟と親友で、それだからこそ絵についてもビシビシ指摘したらしく、

完璧主義もほどほどにしないと、と言ったらしい。



という青樹の絵も、と小林館長が笑ったのも無理もなくて、

この「粟に蜻蛉」、どんだけ細密なんだ!と思う。


粟の描写が近くで見れば見るほどすごい。


蜻蛉も細密すぎて、あと一歩でスーパーリアリズムの世界である。




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粟の白い点々、ぷつぷつ盛り上がっているように見えるんですよー。
胡粉かな?白のハイライト効果なのかな?

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参考図版として、渡辺崋山の「虫魚帖第9図 鶏頭に蜻蛉」が
図録に出ていました。

あ。

ほかの参考図版が今回の常設展示に出ていたものであることから、

も、もしかして見落としちゃった?といま大後悔しておりますよ。

今回は展示しなかったと言ってくれー。



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どうやっても写真では無理な、横山大観の

「霊峰一文字」

「一文字」とは、舞台にかける幕のことで、

大正15年、大阪の文楽座 座頭三世竹本津太夫の病気全快後はじめての
公演を祝して贈られたもので、

この1m×9mの長大な絵と一緒に、「為古典藝術 贈竹本津太夫君」
(古典藝術のために竹本津太夫君に贈る)という為書きの軸装も展示してあった。



キャプションにはなかったけれど、図録の解説が丁寧なのもこの
岡田美術館の図録のいいところで、

「布として用意された絹地は継ぎ目がなく特別この絵のために織られたことがわかる。


その資金主は九州の貝島炭鉱王 貝島太一(1881~1966)であったと伝えられる。

東京、大阪、福岡と、日本を縦断する人物たちの、友情の所産だったのである。」


いいなあ、なにかこう、胸が熱くなるようなエピソードだなあ。


それにしても画家には支援者の存在が重要だとわかる。

小林館長の講座で笑ってしまったのは、

速水御舟がお金持ちに縁のある人だった、ということ。

生まれた家も裕福だったし、結婚した相手もお金持ちの娘さんだったし、

ということで生まれた名作が、

「名樹散椿」のめくらむ金色の「撒きつぶし」ですよ。

金箔よりも金泥よりも断然お金も手間もかかる「撒きつぶし」で
あの金の下地をつくったんです。


金に糸目をつけず、もの凄くいい画材をつかって丹念に作られた作品、

ということで、

伊藤若冲もそうですね、と、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の

「動植綵絵三十幅」の話も出たのでしたが、

今回の展示では絢爛系の若冲ではなくて、墨絵の、

「三十六歌仙」ですが、おとぼけの三十六歌仙で料理をしたり、
つまみ食いしたり、やりたい放題である。このおとぼけも金があるからこその
余裕ってこと?

でも美術とお金の問題はすごくすきなテーマなので、
よくおっしゃってくれました、とうれしかったです。

そして、山種美術館の「金と銀」、見ておいてよかった(笑)!!


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岡田美術館の展示手法や、セキュリティー、ライティング、
レイアウトなど、

美術作品を丁寧に、一点一点宝石のように扱う気持ちが感じられて
心地よかったのですが、

その気持ちの表れとして軸物と一緒に展示されていたのが、

掛け軸を収める印籠箱と、その箱書きです。

菱田春草には大観がよく箱書きをしていて、ほんとうに
大切な弟子だったんだなあと。師弟・同門など、親しい関係にある
画家の箱書きも、


この箱に大切に収められていたんだなーということや、
当時の画家たちの交友関係や、生きていた時代のことが感じられるようで
いい展示方法だなあと思ったのでした。

軸物を太巻きという芯棒にまきつけて、印籠箱に収めるという、
保管方法も今回の講演まで知らなかった。


「横山大観の〈雨後嵐峡〉のこのホトトギス、見落とさないでください」

と言われていたので、見落としませんでしたよホトトギス。



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こちらは春草の「蓬莱山。


水の動きや光の反射にじっと見入ってしまいます。


軸を収める桐箱の箱書きはやはり大観でした。



講演会の内容と、自分で展示をみて思ったことや、

図録の解説がいりまじってしまった…すみません。