館長講座2014第4回「舟越保武・信仰と芸術」 14:00~15:30
美術館まつりでは、
萬鉄五郎室の解説、常設展示特別展示 柚木沙弥郎 いのちの旗印のコレクショントーク、
そして館長講座でコンプリート…いやじつは舟越保武展のギャラリートークもあったのですが、
それは金曜日に聴いたからということで。
前回の館長講座でも、
舟越保武が晩年、脳梗塞で右半身麻痺になってから作り出された
彫刻がなかったら、舟越保武はいまの舟越保武になっただろうか、
という言葉があって、「ゴルゴダⅡ」について自己破壊衝動、
という目の覚めるような解釈を聴いて、
今回の舟越保武展でも、イエスの3作品、
「その人」「ゴルゴダ」「ゴルゴダⅡ」に特に見入ってしまいました。
いちばん最初の「隕石」について、
私はずっと男性だと思っていたんです(笑)。
それもすごい話だが、キリスト教者の舟越保武、と考えたことが一度も
なかったんです私は。だから自由に、
シッタータだろこれ、
と、その筋のひとが聴いたら絶対許してくれないだろうなあ、
というようなことを本気で考えていました。手塚治虫の描く、ブッダの
髪型にも似てませんか?
舟越保武の彫刻作品は女性への思慕、美しいものを美しく表現したものと、
その、美しさを壊すような、自分の中に出来上がってしまった舟越保武というものを
壊すような、「ゴルゴダ」や「原の城」「ダミアン神父」などのまったく違う二つの世界が
あると、
言われてみればそうなんですが、そこにも気づいていなかった。
講座が終わってから「隕石」を5分くらい凝視して、
女性だったわすまん、
と思ったくらいで。
もうひとつ、
非常に興味深かったのは、舟越保武が手の表現に神経質であった、ということ。
手を丁寧に表現したということではなく、手が語ることを拒否して、
手はつねに体に沿って下に垂らすポーズをとらせているというのです。
対照的に、舟越保武の友達でもあった佐藤忠良の手は踊っているというか、
歌っているというか…。
あ、上の画像は館長講座で出てきたものではなくて、
私が講座を聴きながらイメージ映像として思い浮かべていた、
札幌にあった佐藤忠良の若い女性の像です。たしかに歌っている、
なにかを語っている。
岩手県立美術館の「道東の春」。
手を垂らしています。昨日は雨でしたが、雨の中の「道東の春」は
堂々としてよかったです。写真撮影をしている若い男性がいて、
その気持ちは良く分かると思った。
質問の時間があったので、
彫刻家によって手の表現が違うことに気づかせてもらったことを
感謝しつつ、
岩手県立美術館にいまいる、「岩頭の女」の柳原善達の
独特の片手を前に突き出すポーズについて聞いてみました。
「犬の唄」。
なぜ犬の唄なんだろう、と思っていましたが、柳原義達は1950年代、
第二次世界大戦後のフランスに行き、そこで受けたものがあって、
この片手を前に突き出すポーズの女性像をつくるようになったと。
このポーズは「負け犬のしぐさ」だとうかがって、すべてが氷解!
大津波に飲み込まれて、片腕と両足首から下を失い、
太もものあたりも損傷してはいるのですが、
かえって迫力のある、堂々とした彫刻になったこの「岩頭の女」の
ことを語っていただいて、
それがうれしかった…って舟越保武の講座だったのでは…。
いや、でもおなじですよ。
舟越保武も、脳梗塞によって肉体は損なわれたけれど、
彼の彫刻に対する命は大きく高く、迫力をましたのだから。
ではでは☆