だからてっきり、
ギャンブルで背負った巨額の借金からうつになり、自殺をしようとしたのかな、
と思って読み始めたのでした。
よく見れば、帯の下に
母親のダイナマイト心中から約60年。笑って、脱力して、きっと死ぬのがバカらしくなります。
とあるのですが、それに気づくのは読み終わったあとです(笑)。
末井さんのお母さんは末井さんが7歳のときに隣家の青年とダイナマイト心中するのです。
自殺でお母さんを失ったということです。
母親がダイナマイト心中したということでツライ子ども時代だったのではないかと
想像されますが、田舎は大きな家族のようなもので、まわりがよくしてくれてそれほど大きな傷は負いませんでした、とあってホッとさせられます。
とはいえ、お母さんが結核で長く入院してのちのことだったので、結核菌を持っていると誤解されて
陰口をたたかれて孤立したこともあったようですが、
その時のことを、
いじめられてよかったと思っていると書いています。
「家が貧乏というマイナス要因を除けば、成績も運動神経も良くて、背も高く、
母親がいないということで担任の女の先生が優しくしてくれて、
だから自分が特別な存在のように思っていて、得意になっていたと思います。
そういう人間は、得てしていじめられるよりいじめる側に立つものです」
すごいなあと思います。もちろん、そういう分析をしているのは現在の末井さんであって、
子どものころは悪口をいいふらした相手を恨み、家に火をつけてやろうとまで思うのですが、
(当然だと思いますが)
いまの「表現」にかかわる雑誌の編集長という仕事をやるようになって、ほんとうに良かったと思い、
いじめる側ではなく、いじめられる側であってよかったと。
そこからいじめられた子どもが自殺する問題につながっていきます。
末井さんは無条件にいじめるほうが悪いと思っています、と言い切り、
その一方で、学校は社会の縮図のようなもので、いじめは社会に出てもある、
そういう社会で生きていく覚悟を決めるしかない、ときれいごとでまとめていません。
いじめる側が無条件で悪い、で終わらず、その社会で生きていくためにも、
自殺するところまで追い込まれたらひきこもっちゃえばいい、学校なんてやめちゃえばいい、とも。
そこまで書店で立ち読みして、この本を手元に置いてゆっくり読みたい、と思ったのですが、
飛ばし読みしながら、最後にたどり着くと、
「(ブログで)この連載を始めて、自殺した人たちのことをあれこれ想像するようになりましたが、
いつも母親のことを重ね合わせていたように思います。母親のことを想うように、自殺していく人が
いとおしく可哀想でなりません。僕は自殺するひとが好きなんじゃないかと思います。
自殺する人は真面目で優しい人です。真面目だから考え込んでしまって、深い悩みにはまり込んでしまうのです。
本当は生きづらさを感じている人こそ、社会に撮って必要な人です。そういう人たちが感じている生きづらさの要因が少しずつ取り除かれていけば、社会は良くなります。取り除かれないにしても、生きづらさを感じている人同士が、その悩みを共有するだけでも生きていく力が得られます。だから、生きづらさを感じている人こそ死なないでほしいのです。」(「迷っているひとへ」)
いままでにも数多くの自殺に関する本や、いじめで自殺した子どもの事件があれば、有識者たちの意見なども読んできましたが、いずれも私の心に響いたことは一度もなかった気がします。
いじめに負けるな、と書いてあるのを読むと、いじめる側が悪いと思っている私はなにか、いじめ、というものに負けた方が悪いと言っているようで、デリカシーのなさに開いた口がふさがらない思いがしたものです。
いじめた奴に立ち向かえというのも現実的じゃないし、周りに相談しなさい、大人を信用してください、というのも、そういう言葉じゃないって!と思いました。
有識者たちの言葉は、自分がいじめられた子どもで、いま死を選ぼうとしているとき、
どんな言葉だったら思いとどまるかな、という想像力に欠けている気がしました。
また、子どもだけではなく、自殺した人たちを非難するような言葉にも、いつも傷ついていました。
自殺するくらい苦しかったのに、自殺したことを責められる子どもや大人がとても可哀想で。
というような私の心に末井さんの言葉ほど染み渡るものはなかったのでした。
「観光気分で被災地巡礼」「秋田県の憂鬱」「二人のホームレス」「聖書との出会い」
自身のうつ体験を語った「うつと自殺」、月乃光司さんへのインタビュー「慈しみの眼差し」
「残された者」では両親を心中で失った写真家の青木麓さんと残されたもの同士の対談をしています。
いずれも優しい語りかけるような口調で、また、読んでいて苦しくなるような表現jはまったくないんです。
「秋田県の憂鬱」はわが岩手県のお隣の県のことで、自殺率№1の分析をする、
秋田大学医学部法医学教室の吉岡尚文教授によって作られた『秋田の憂鬱』についての対談になるのですが、この章がお隣の県ということもあってか、すごくおもしろかった。
この対談は秋田大学にいる最後の日に行われたということで、そのあとは
「盛岡に行って、医療機関に勤める予定ですね。高齢者の福祉関係の施設です」と答えています。
そして、
「秋田、岩手、青森の北東北三県は(自殺率が)常に他界ですよ。たまにそこに新潟県が入ってくる
状況です」(吉岡教授)。
それは日照時間が短いからかと思っていたんですが、
自殺率の高い県をみると、秋田、岩手、宮崎、新潟、沖縄、島根、青森、高知、鳥取、福島、富山…
で、低い県は奈良、福井、徳島、広島、三重、京都、岡山、佐賀、宮愛知、宮城。
あれっ?東北なのに宮城は自殺率が低い県なんだ…と意外。宮崎や沖縄なんて温かいし日照時間も長いだろうし、それなのになぜ?と。
若者が多い県は自殺率が低いというのもわかるような気がします。
吉岡教授は自殺予防については中央から人を呼んできて講演会を開くとか、シンポジウムを開くとか、
そんなのは全然予防対策にはなっていないわけで、と語り、
その自殺率の高い地域社会のひとがどうしたらいいかみんなで考えるほうが効果があるように思う、と
指摘しています。中央から呼んできて講演会。よくあります(笑)。
それよりもコーヒーを飲んだり、自由に出はいりできて、本音を吐き出せるような場所の提供がいいんじゃないか、という言葉に、以前、ブックレビューで紹介された、
「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある」岡 壇(講談社文庫)
を思い出しました。
で、検索してみたら、なんと、岡壇氏と末井さんの対談がネットにあったのでした。
自殺をテーマにした異色の2冊の著者が語る「なぜ徳島県海部町は日本一自殺率が低いのか」
末井昭(『自殺』)×岡檀(『生き心地の良い町』)前編
自殺について、どうしたら自殺率が低くなるのかという統計学的な分析や、考え方も、
読んでいてホッとします。
自殺という黒い雲のようなものを、やみくもに怖がっているだけではなく、
腑分けして行動することで、助かるひとが随分いると思われます。
迷っている人がいたら、この本を手にとって読み終わる間だけ待って、
と伝えたいと思います。