泥縄の菅原です。


泥縄の縄って、虫ヘンだと蠅みたいだし、縄って亀にも似ているよなあ…


なんて連想がいかんのだが。



泥縄で美術館まつり(11月3日 船越保武展開催中ですが、この日は無料で入館できるので、

ぜひ!お誘いあわせの上おいでくださいませ~。ちなみに、中央公園エリア一帯が入館料無料で

一日中文化の日を楽しめまする)のために、


萬さんの解説の勉強中。


こないだも解説はやったんですが、文化の日にやってきてくれるお客さんは多いであろうと思って、いろんな世代のいろんなひとに楽しんでもらいたいなあせっかくだから、ということで、


ネタ満載の解説を狙って、とりあえず、萬さんの年譜をみつつ、

同年代生まれの人を検索したところ、


大杉栄が1985年1月17日生まれだった。ちなみに萬さんは11月17日生まれ。さそり座の男だ。



で、大杉栄と萬さんの年譜を重ねていたんです。


萬さんだけ見ていると、当時の美術状況しか見えないんですが、大杉栄の年譜を重ねると、

思想状況というか、思想弾圧状況がまたわかってくるというか。


ふたりが上京するのは、ほとんど同じ17,8歳です。


大杉栄は香川県丸亀に生まれ(お!熊谷弦一郎が1902年に生まれたところだ!)、

お父さんが軍人だったので、子どものころは新潟県新発田市で過ごすことが多かったそうです。


幼年学校で当時はドイツ語が大人気であぶれた栄はフランス語科へ。それがのちに役立つことになるとは…。


で、たんたんと二人の年譜を見比べていたのですが、


ややっ!


1906年、大杉栄、東京外国語学校フランス語科を卒業し、エスペラント学校を開く。


エスペラントに興味をもったきっかけは1905年平民新聞の後継紙である「直言」に堺利彦が書いた紹介記事によるものだった。えっ!



エスペラント語…私はエスペラント語って世界中の人たちと同じ言葉で意思疎通のできる言語、


という認識しかなかったのですが、だから宮澤賢治がエスペラント語をやっていたことも、当時はあいつはアカだ、ということになったのかなあ。


と、つぎつぎいろいろ知らなかったことが芋ヅルしきに出てくるのだった。