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「天使猫ー宮澤賢治の生き方ー」 作・演出 渡辺えり


大和田美帆 トシ、ひばりの母、山猫、ヤス
大沢建 猫、縞島、生徒B,保坂嘉内、きつね、紳士
土屋良太 宮澤賢治
谷川昭一朗 信夫、校長、うさぎの父、生徒A、別当、政次郎

渡辺えり 絹恵、ホモイ、イチ

宇梶剛士 清六・岩手山

賢治の生徒たちや、ふくろう、猫の子どもたちなどを演じたのは
渡辺えり


【盛岡】10月19日(日)
  会場 盛岡劇場メインホール  14時
 
 ★アフタートーク
 19日 渡辺えり&ロジャー・パルバースさん



「天使猫」に先がけて、9月19日におなじ盛岡劇場メインホールで
開催された、

感激!観劇の極意~お芝居を100倍楽しく観る方法~《第1回》


で予習はバッチリ。地方公演は財政がキビシイと冗談交じりに
おっしゃっていましたが、さらに、多忙な中、こういう企画講演まで
やってくださって、

岩手での初日に力を入れてくださっているなあと。


宮澤賢治(土屋良太)が舞台からではなく、客席の間の階段を駆け下りてきて、舞台へあがります。
宮澤清六さんが「賢治のトランク」と書いた、そのトランク。大きな大きなトランクでした。

坊主頭に帽子をかぶり、せわしなく動く賢治はイメージの賢治より、
都会的で純粋で、それゆえに激しさを感じさせるひとでした。

舞台には地球儀、朝顔型の蓄音機、なにかのセット、それがなにか不明な積み上げられたものがあり、
白い、妖艶な美青年とでもいったような白猫が現れ、賢治と言葉を交わします。

この猫の出で立ちがお洒落でかっこよくて、動きがまた独特でよかった。


賢治の妹のトシ役の女優さんは黒い瞳がきらきらして、頬が紅く、おさげ髪のトシ、
悪魔のような山猫役、「貝の火」のひばりの母、賢治のおしえごたちのひとり、の4役でした。


特にトシのきよらかな美しさと、山猫のけたたましい笑いの対比が大きく、オデットとオディールの
二役のようでもありました。

宮沢賢治以外はみな、2役3役、猫役の男優さんと賢治の父の政次郎役の役者さんは6役も演じ分けていたのでした。


演じ分けということもあったし、猫は賢治の学生時代からの大親友、
保坂嘉内にもなるのですが、保坂が猫となって大切な親友を案じているようにも
見え、ホモイを誑かす悪い狐だったり、恋人だったり。

それは賢治が農業・天文学・地学・鉱石・文学・エスペラント語・音楽・演劇・歌舞伎、
あらゆることにエネルギッシュに打ち込む姿のある反映のようにも思えました。


農業学校の生徒たちとのオペレッタの稽古の場面。

どうやら、「グスコーブドリの伝記」?とおもいきや、
「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」(ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」は「グスコーブドリの伝記」の原型と言われています)を練習中、妹をお菓子のカゴに入れられて化物世界に
さらわれたネネム役の生徒が、かごを小さなものとして表現したことを注意し、
地球儀で世界は広い、こんな大きなお菓子のカゴだってあるんだ、と世界の広さを教える賢治。

逆に、地球儀のなかではこんなにちっぽけな国の日本の中でさえ、
言葉が通じない、という話もする。東京で「もぜいなぁ」といっても通じません、

で、ぎょっとする生徒たち。東京では可哀想だなあ、と言います、と教えるとさらに
ぎょっとする生徒たち。生徒の一人が、エスペラント語で上演しては?と言い出し、

家の農業仕事もやりながら学校に来ている生徒たちなのに、
賢治の影響なのか、エスペラント語で書き換えた舞台の上演をやろう、やろうと乗り気だ。

この賢治の生徒役の役者さんたちのほとんどは渡辺流演劇塾2期生の生徒さんたち。



白い腰のあたりにタックをたっぷりとった、股引改良型のような
不思議な全身白のタイツに白の帽子、背中にはオーガンジー(だと思われる)の小さな翼が生えている、

といった出で立ちでふくろうになったり、白い子供の猫たちになったり。

あるいは海の底の海星になったり、

鬼剣舞を踊ったり、

バレエのステップで風を表現したり、

とにかく全身をつかって自然をあわらす演技がよかった。生徒役の時の純朴な笑顔も好ましかった。

群舞もよいけれど、全員でテーマを歌うところもよかった。

舞台セット、照明をぐんと落とした最初の場面では廃墟のようにも、
屋根裏のようにも見えたけれど、

水色に雲が描かれた、生徒たちがオペレッタのためにつくったセット、
のイメージでつくられたものだったのではないかと。



賢治が農業学校の生徒たちの母親に糾弾される場面がある。


「ケンジさんは子供の頃から何の苦労もしないで、ただ遊んでいたって
飢え死にするこどもない。んだがらオラたちの苦労なのはかるはずがねえ」


父親からも賢治は罵倒される。

「お前はいったい何がすったいんだ。何になりたいんだ?詩人か?小説家か?作曲家か?
画家か?科学者か?人間は一つの道をまっすぐにやるもんだ。お前の心にいっつも迷いが
あるからいっつも中途半端な事しかできねえのだ」


農業をやりながら、音楽も演劇もエスペラント語も学ぼう、という賢治のユートピア
教育は、「学校劇禁止令」(なんと!)によりあきらめざるをえなくなる。

賢治が明るい顔で夢を語り、理想を歌い、エネルギッシュな風となって

舞台を歩き回るとき、涙がこぼれてとまらなかった。

賢治はそういう生き方をするしかなかった。


賢治に見えるユートピアが賢治をひと時も休ませなかったのだ、と。



保坂が賢治に、君の人生は苦しいだろうね、と語りかける場面がある。

死の床で、自分は何者なのだ、自分はなんなのだ、と自問自答し、苦しむ賢治の姿が
その答えであるように思えた。





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2012年5月初演のこの「天使猫」、今回のパンフレットも制作中だったそうですが、
間に合わなかったということで、申し込んであとで郵送してもらうことになりましたが、

このA3ふたつ折りのリーフレットも興味深かったです。


「宮澤賢治の童話をめぐる旅」のコラムでは、劇中で賢治の童話とはちがう形で演じられた、


✩ペンネンネンネンネネムの伝記 ✩ポラーノの広場

✩どんぐりと山猫 ✩銀河鉄道の夜 

✩林の底 ✩貝の火

が紹介されています。



私自身のオリジナルな思いを強く入れながら、宮澤賢治を描く。
この両方ができないだろうか?としばらく悩んだ。賢治の童話と似た設定でまるで
違う話を書く。そうでなくては自分が書く意味はない。




「戯曲を書く時-「天使猫」の場合 続編」
(悲劇喜劇2012年9月号)


えりさんが傲慢の罪で貝の火の破裂によって、失明してしまう
ホモイを演じたのだが、あの「貝の火」のホモイとちがって、

あらかじめ貝の火が齎す禍を知っており、どうしても受けとりたくないと
逃げ回り、賢治に貝の火を押し付けるようにして逃げ出すのだ。

しかしホモイは傲慢の罪ではなく、賢治に貝の火を押し付けた罪で

やがて死んでゆく。せめて誰かに食べられ、役に立って死にたいと。


賢治の童話はほかにも織り込まれている。




最後の賢治が死の床に着く場面では、
白い大きなチューリップの行進がある。

玉響という言葉を連想させる場面だった。

ほんとうに印象的な場面が多く、書いていてきりがないのだが、
宮澤賢治の大きなトランクと、そのトランクにもたれ掛かるようにして
兄の童話の続きを待っているかのように眠る静六と、


「オラだの物語もっともっと聞かせてけろ!」と叫ぶ姿に、
胸を締め付けられた。