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「コラボレーション R.シュトラウスとS.ツヴァイク」ロナウド・ハーウッド 丹野郁弓訳 演出 渾大防一枝 装置 堀尾幸男 劇団民藝 紀伊国屋サザンシアター 

リヒャルト・シュトラウス 西川 明
パウリーネ・シュトラウス 戸谷 友
シュテファン・ツヴァイク 吉岡扶敏
ロッテ・アルトマン 藤田麻衣子
ハンス・ヒンケル 塩田泰久
パウル・アドルフ 内田潤一郎

1931年から1948年のシュトラウスとツヴァイクのコラボレーション。

ツヴァイクは出身地の市立図書館に、「ツヴァイク著作集」があり、もちろん「ベルサイユのばら」の影響で「マリー・アントワネット」だけは読んでいます。あんまり勉強も得意でもない私がなんとかかんとか公立高校に入れたのはマンガの動機づけのおかげじゃないかなあ。世界史は少女マンガでずいぶん助かりました。


「私のマーガレット展」見逃したのは残念だけど、すきな作家さんが感想を書いているログを発見したので、うれしい。自分で体験することが1番だけど、自分の体は一個しかないし、使える時間は限られているので、

身代わりとなる体や眼をネットやリアルの知り合いとの会話から探すことができれば、いくらか飢えは宥められる。

言葉は体にも眼にもなるんだねーわかるよー。



さて、ツヴァイクですが、「マリー・アントワネット」を読んだ時は、てっきり歴史研究家だと思っていたのですが、語弊はあるかもしれませんが、司馬遼太郎さんのヨーロッパ全土版的な人気作家だったもよう(司馬遼太郎さんも全然読んでいないので間違っていたらあいすみません)

彼がユダヤ人であることも、

亡命先のブラジルで妻とともに命を絶ったことも、このお芝居ではじめて知りました。


67歳のリヒャルト・シュトラウスと50歳のシュテファン・ツヴァイク。

シュトラウスの妻が木製のベンチに身を預け涙をこぼしながら読んでいたのがツヴァイクの本。ツヴァイクは世界的な人気作家だったのだった。

そのツヴァイクを見込んで、「マリー・アントワネット」なんてあの女がどんな死に方をしたかなんて誰でも知ってるじゃないか、と、自分のために劇を書いて欲しいシュトラウス。

シュトラウスもその妻もツヴァイクもその秘書(のちに再婚)も、みんな日本人の役者なのに、きれいな日本語の音(というのも変だが)を出しているのに、

ちゃんとドイツの人に見えるんです。舞台装置は堀尾さんで、私はシアターコクーンの中島みゆきの「夜会」のビデオで知ったのですが、堀尾さんの作った舞台が見せかけではなく、ドイツの精神的なものを深く理解して反映していたからではないかと想像しました。


私は予習しないタイプなので、「コラボレーション」を見に行ったのは「コラボレーション」のポスターが舟越桂さんの木彫だったからで。

舟越桂さんの作品も国籍不明ですが、頭部のきれいな形はゲルマン的だなあと絶壁頭の私は思うわけだ。



物語はふたりが出会い、オペラ「無口な女」の上演について共に語り合い、やがてナチスの迫害がはじまる1933年に集中している。


世界的な作曲家であるシュトラウスは家で妻に頭が上がらず、外からかえって家に入る時はマット三枚を使ってきれいに泥を落としなさい!と口やかましく言われている。そのシュトラウスの山荘に招かれたのがツヴァイク。

人気作家で頼まれている作品もあって、なかなかすぐには取りかかれないというのですが、シュトラウスは長年の相棒ホフマンスタールを失って、曲を書きたい気持ちが抑えられず、赤ん坊のような無邪気で唯我独尊的わがままと君の才能に惚れているんだ、という思いを伝えてオペラの本を書くことを約束させる。

ツヴァイクは訪問にシュトラウスの妻に可愛い箱に入ったプレゼントを携え、シュトラウスにはモーツァルトの手紙を持ってきたのだった。シュトラウスのモーツァルトコレクションのことを知っていたのだった。

繊細で穏やかで、美しいもの真理、正義を愛するツヴァイク。

天真爛漫な魅力のシュトラウスと対照的な抑えた内面的な(でもユーモアがある)ツヴァイク。彼の秘書がある日泣きながら帰ってきた。怯え興奮するロッテを宥めて聞き出した話は、

いきなりドイツの少年ふたりに追いかけられ、淫売、ユダヤの淫売と罵られ、誰もそれを助けてくれず、警官も傍観していただけだった、という迫害のはじまりだった。

道を歩いていただけで警官に引っ張られていったユダヤ人の男性や、街中で淫売と侮辱されたユダヤ人の婦人、犬小屋に首輪で繋がれ屈辱に耐え切れず憤死したユダヤ人の大学教授…それらのエピソードは、児童文学や「アンネの日記」で読んだことがありました。でも1933年です。そんなに早くからユダヤ人を虐待する風潮がドイツの中に流れていたのかと。

1935年、完成した「無口な女」の上演をめぐり、シュトラウスの家にナチの親衛隊のひとりが訪ねてきます。そしてユダヤ人であるツヴァイクと組んだ作品は一切上演を認めないとし、

抗議するシュトラウスに彼の息子の妻がユダヤ人であり、その子(シュトラウスの孫たち)もユダヤ人の血を受け継いでいることを強調し、楯突いたらお前の息子一家の身も保証できない、と暗に脅迫するのだった。


やがて1942年、ブラジルに移住したツヴァイクとその後結婚したロッテは服毒し、命を断つ。ヒトラーが自殺するわずか3年前だった。

終戦後、

ミュンヘンのシュトラウスは妻とふたりベンチに座って、ツヴァイクの自殺と自分の選択によって孫たちは守れたことなどを語る。


あれほど暴力を憎んだ君が自殺したのは、自分に対して暴力をふるったのと同じことだ、とツヴァイクの無念を悼むシュトラウス。

最後の場面は1948年。

パンフレットにシュトラウスとツヴァイク、ドイツ・世界の動きの略年譜があり、

それによると、

「1948年 非ナチ化裁判で無罪となるが、健康状態が悪化する」

シュトラウスはナチにより「第三帝国音楽局総裁」に任命されていたのだった(「無口な女」上演後辞任)。

1948年85歳で死去、ずっと彼のそばにいた妻も翌年亡くなる。



シュトラウスの妻がすばらしかった。ナチスにも毅然としていつもの、


三枚のマットで靴を拭いたでしょうね!と追及したり、ナチの迫害の話を夫とともにツヴァイクから聞いて憤然とする、正義感の強い、堂々としたドイツの女という感じで。舞台から袖に引っ込む時も動きがユーモアたっぷりで、この妻のキャラクターのおかげで見終わった印象が暗く陰惨なものにならなかった気がする。

シュトラウス、ツヴァイクのコラボレーションとともに、シュトラウスとパウリーネのコラボレーションも心に残った舞台だった。


それにしても音楽が全然わからない以上の人間なので、シュトラウスの名前はかろうじて知っていたけど、

どんな曲を書いた人か全然知らないで見てよかったのかなあ。

シュトラウスの大ファンのひとやツヴァイクファンのひと、第二次世界大戦のドイツの状況などについて人並みに知っている人だったら、私よりもっと深く味わえたのかなーと思いつつ、


知識と味わうことは必ずしも比例しないし、と思い返したりして。

シュトラウスの曲と、ツヴァイクについてもう少し自習したいと思います☆