こんにちは。
ノーベル賞受賞の話題でもちきりの昨今ですが、
こちらは1911年にノーベル文学賞を受賞した「青い鳥」の作者、
メーテルリンクの木版画であります。日本では1910(明治43年)に
紹介されております。
彫ったのは萬鉄五郎。1913年頃と推定されます。
高野文子に女学校の少女たちが演じる、「青い鳥」をモチーフにした、
「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」(「おともだち」所収 筑摩書房)があり、
栗島すみ子さんがチルチルを演じたのを主人公の少女が見て憧れた、
というモノローグが出てくるのです。
萬鉄五郎は島村抱月が結成した芸術座の舞台装置を手がけていた時期があり、
島村抱月はメーテルリンクの翻訳をしているので、そういう中で
メーテルリンクを彫ってみようと思ったのかなーと想像します。
こちらがその「芸術座舞台装置」
若い画家たちが舞台装置にかかわるというと、セルゲイ・ディアギレフ率いるロシアのバレエ団、
バレエ・リュスと20世紀初頭の芸術家たち、特に画家たちと関係を連想します。
マティス、ルオー、ローランサン、ミロ、キリコ、ピカソ、ユトリロ、ブラック…。
ちなみにセルゲイ・ディアギレフ1872年生まれ、
島村抱月は1871年生まれであります。
「ねて居る人」(1923年)
あちこちの美術館で見たことがあるこの作品。版画だもの、
あちこちにあっていいのですが、
2通りの「ねて居る人」が彫られていたもよう。版木が2つあるというのです。
しかし、なぜ2つの版木があるのかは謎につつまれている…。
「うしろ向き」1922年
なにかこう、突き抜けたタイトルですが、この木版画の前年に萬鉄五郎は
「水浴する三人の女」を帝展に出品し落選しています。
落選した絵は本人によって切り刻まれ、部分画が残っています。
油彩と版画におなじイメージの作品があるというのはどういうことでしょうか。
「車曳きのいる風景」(1912年頃)
「太陽と道」1912年
ともにこの油彩画を花巻市東和町の萬鉄五郎記念美術館の
「生命の爆発展」で見たのですが、
彫る表現を得たことが萬鉄五郎を自由にした気がします。
さて、木版画特集があるなら、萬鉄五郎室はどうなるんだろう~と
思っていたのですが、それほど大きな変化は…ありました。
あれっ?
いつもはある衝立のような壁がとっぱられて、どーーーんと広くなっているよ?
展示されている絵はおなじみのものばかりなのですが、
木版画と関連した絵の展示もあります。
いや木版画以前から展示されていたのですが、たぶん、木版画特集については
だいぶ前から構想されていて、さきに萬鉄五郎室での「男」の展示があったという
順番なのではないかと思います。
油彩の「男」も最初の「男」(1914)、後年の「男」(1925年)と
一度抱えたモチーフを孵化させるまで懐から離さない萬鉄五郎の
姿勢が伺えます。
画家は皆そうなのか、萬鉄五郎はそうだったのか、
比較するほど多くの画家や作品を知らないのでなんとも結論づけられないのですが…。
おなじT字路をモチーフにした3枚ですが、
木版画と油彩、おなじ油彩でもタッチが変わっていること、など、
「男」における変容と比較すると興味深いです。
ほんとうは年表や研究書を調べて、こうだったからこうなのではないか、
と確証を得たほうがいいのでしょうが、
きのうはただ、萬鉄五郎室と常設展示室の木版画特集を廊下とんび
状態で行ったり来たりして見比べていました。