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岩手大学人文社会科学部、1号館に行ってきましたよー。

 「アート/アクティビズム/メモリーワーク~ジェンダー・セクシュアリティの

脱・再構築を切り口に~」

中村美亜(九州大学)さんのお話を伺ってきたんでした。


ほんとうはこのあと、学生さんや教員の方々と会議になるようなのですが、それはさすがに。


興味深い内容でした。

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資料をいただいたので、その中から。

「本日の構成」


1.社会に働きかけるアートー「語り」を媒介にして

2.エイズ・アクティヴィズムとアート

3.アートの可能性



ところで、私はてっきり講演会のようなイメージで行ったので、
テーブルが口の字型に並べられている教室を見て、

あら?私来てよかったかしら?とかるく動揺…。

しかし、十人ほどの参加者の自己紹介などあり、どうやら
一般のひとで参加しているのは私だけのようなのですが、



「差異ある他者との共生」


がこの講演とそのあとの協議のテーマであることから、

私も参加していていいんだ、とすぐに気が付く私。

不器用なのも私ですが、異常に順応性が高いんだよね。



中村美亜さんはずっと音楽がすきで、演奏などもしていたそうですが、
アメリカに行っていた時期に一時中断していたそうです。

社会で起きていることと、自分が音楽をやっていることに疑問をもったと。


東日本大震災のあと、

お芝居を見に行ったあとのアフタートークで、劇作家の対談で、
やはりそういうことを聞いたことがあります。

べつに自分のすきなことをやっていればいいじゃないか、それはそれなんだし、
とは私だって思えないだろうなあと思います。楽しんでいる自分に罪悪感を感じずにはいられない。

罪悪感を感じる自分を否定しようとしたこともありましたが、いまは罪悪感を感じるのも人間だもの、
当然のことじゃ、と思っています。

ただ、そのアフタートークに共感したこと、罪悪感をもってしまうのは仕方がないし、震災前とあとでまったく同じではいられないのは誰でもそうなのかもしれない、と共感して、安堵したんですね。


「言葉で分節化すればするほど、ひととは離れていく」


言葉では言い表せない、という表現は逃げだ、というのもほんとうですが、
言葉でだけ伝えようとすると、かえって誤解を生むこともあります。


そんな時期をすぎたあと、今度は、アートで社会の問題を解決しようというはたらきが起きてきました。


アートで地方おこし。 大地の芸術祭妻有アートトリエンナーレをすぐに連想して、また岩手では萬鉄五郎を生んだ土地、土沢の土澤アート&クラフトとか…トリエンナーレ、ビエンナーレ、いろんな企画があるようです。

障害者のひととアート。  アールブリュット展を思い出しましたね。それから花巻のるんびにい美術館、東京都美術館でみた「楽園としての芸術」展…。

紛争解決とアート。 

そういう世の中の動きが中村さんに、自分のやりたかったことはこれだ、と気づかせ、

今までやってきたことがこれで全部活かせると思ったそうです(2008年頃)。


「アート」と「語り」についての、

自分はこうだと思っていたものを、アートを媒介にしてかきかえていく、あたらしい見方によって、
解決の糸口をみつけていく、というお話も興味深いものでした。


私もそうです。

美術館だけではなく、映画をみたり、お芝居をみたり、本を読んだり、なにか自分とはちがうものに触れることで、あ、こういうのもアリなのね、と気づいて、モノの見方が変わります。

具体的な例で言えば、大地の芸術祭で棚田とアートという光景をみてしまって以来、
倉庫も標識も、なんてことのない錆びた鉄製のなにかもアートに見えて仕方がない。

そういう目でいろんなものを見ることはやっぱり楽しいことです。

そうやって、だんだん、いろんな見方が増えてくると、建物を見ても、空をみても、
野の小さなお地蔵様をみても、アートだと思いますし、心が楽しく明るくなる。

では、「アクティズム」と「メモリーワーク」とはどういうことでしょうか。


その前に、カミングアウトという言葉をどう思われますか。

いまではあまりにかるく口にされてしまって、逆に冗談をいうよ、という合図くらいになってしまっている気がします。同じように考えてなのかはわかりませんが、

カミングアウトという言葉は中村さんの口からは出なかったなあ。

で、HIVについて。

HIVが問題になった最初の頃、差別と偏見はいま思い出すよりずっとひどかったのだろうと思います。

過激な性行為や異性愛、とにかく淫乱だからそうなるのだ、自業自得だ、というような風潮があった気がします。

血液製剤やHIV訴訟のことをやると本来の話からだいぶそれてしまうから、そういう話は出なかったのですが、血液製剤で感染した子どもたちもいたのでした。

でも、逆に、そういうひとたちは被害者であり、性行為で感染した人たちは自業自得なのだ、という空気があった気がします。


そういう中で、

ニューヨークで起こった「SILENCE DEATH」という運動は、

黙っていないで声をあげていこう、というものでした。

黙っていたら死ぬだけだ、ということでしょうか。死ぬ、社会的な抹殺への
抵抗。


エイズキルト、メモリアルキルトのスライドもありました。

自分も友達の影響でキルトをつくっていたことがあって、
キルト展でみんながひとつのパターンをもちよって大きな作品に仕立てるというものも
見たことがあり、

それだからこそ、その大きさやどれだけ膨大な作業であったかも想像できました。

ブロックとブロックをつなぎ合わせるボーダーがけっこう大変なんです。

ひととひとの調整役のひとがいちばん大変なように。

アメリカのアクティズムの紹介のあと、

古橋悌二さんという方の、S/Nというアクティズムを「NEWS 23 特集」の動画で
一部ですが見せてもらいました。

S=SIGNAL、N=NOISE

音楽と雑音。その境界を問う、というテーマの舞台ですが、
いまでも世界中で(もちろん日本でも)再演しつづけられているそうです。

「私は夢見る 私の性別が消えることを」…

いろんなひとが地球に見立てられたまるい球体の上で、あらゆる垣根や隔てる壁がなくなることを
世の中に向かって叫ぶ…。

Living Together計画
という2002年からはじまった、HIV感染について、
当事者に手記を書いてもらい、それを読んでもらう、という活動も興味深かったです。

私が思い出したの吾妻ひでおさんの「アルコール病棟」ですが、患者たちが退院にむけて
通う(いちおう自主的に、でもほとんど強制的な感じもある)アルコール依存性の会です。

自分のアルコール依存症体験を語りあい、今度こそという目標を話す場になっているのですが、
空気の重さは読んでいても伝わってきました。音楽がないからではないか。吾妻ひでおさんが通っていた
会がすべてではなくて、ほかはBGMを採択しているところもあるのかもしれませんが…


先日読書部できいた、日本一自殺率の低い、徳島県のあるまちを思い出しました。

そのまちが自殺率の低い理由のひとつが、


ゆるい絆

でした。


田舎によくある、互いを監視しあうようでもある硬い絆ではなく、

ちょっと声をかけあうくらいの、お茶のみをすすめるくらいの、でも立ち入らないゆるい絆。


なにで読んだのかは覚えていないのですが、

障害のあるひとにとって暮らしやすい社会は、
そうではないひとにとっても暮らしやすい社会のはずだ、

という言葉を聞いたことがあります。ノーマライゼーションとはそういうことじゃないかと思います。


私はゲイではないですが、マイノリティである自分を感じることはいろんな場面であります。


左利きであること(日本人は10%くらい)、

離婚者であること(でも離婚率があがっているので昔ほどではない)

息子が発達障害であること

息子が生まれる前は不育症だったので、超マイノリティだった。不妊症というカテゴリーとはまたちがう悩みがある不育症。認知されてきているのでしょうか。



笑い事にできることで言えば、

足が大きくてソックスも女物では小さすぎるし、かと言って男物だとすぐ脱げるという微妙にイレギュラーな体型もマイノリティ。背が高いとか脚が長すぎるとか、そういうのも大変だろうけど、足の裏が大きいというとなにか間抜けな印象だ。


人と違うことが辛いのは、違ってもいい、という受容がないことを感じさせるから。

1時間ほどのお話の中で、私は中村美亜さんの言葉をすべて自分の体験に置き換えていました。


たぶん、とっかかりに中村さんが自分がこういうことをはじめたきっかけ、という個人的なことを話してくれたことが大きいと思われます。


貴重なお話を伺う機会をいただいて、ほんとうに感謝であります。

ではでは✩