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行ってきました、東北生活文化大学。

こちらの学校には美術学部があって、帰りに石彫の製造現場というか、石材や工具、切削機械を見られたのもよかった。

私は石材店がすきだが、特に依頼するものもいまのところないので、中に入るわけにもいかず、通り過ぎるだけなので、思いがけずいいものをみたなあと。

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みんな遠慮してなのか、最前列に座るひとはあまりいなくて、

開演5分前くらいに受付をしたのに、余裕で最前列ど真ん中に座れてしまいましたよ。

仙台は都会だと思っていたけど、やっぱりおなじ東北だと思った(笑)。横浜そごうのギャラリートークの人の生垣ときたらもう。


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講演は東北生活文化大学の生活美術学科教授の森敏美さんが聞き手になって進める形でした。

ご両親のこと、子ども時代のある日の、

人形づくりのきっかけとなったできごと。

十代から二十代にかけての、やりきった青春。唐十郎との出会いや、

寺山修司と唐十郎が新宿でもめた時の話や、

舞台に立ちながらも人形作りをしていたこと。


澁澤龍彦との出会い。

澁澤さんのお見舞いに行って、喉にガーゼが当てられていて、

(あ、これはホンモノになったんだな)

と思ったこと。

四谷シモンの言葉は、素朴でやさしくて、含羞があって心地いい。

横浜そごうの「シモンドール展」では、澁澤さんとの関わりや、その喪失からの回復など、内面的なお話を伺ったのでしたが、

今回は生活文化大学、美術学部もある大学の講演会(一般のひともOK)ということもあってか、

手でふれてつくることや、

特に一番最初の、

マンガの吹き出しに新聞紙をちぎって水につけて、メリケン粉で紙粘土をつくろう、
とあったのをきっかけにして、


新聞紙とうどん粉で、当時映画にもなった「笛吹童子」のしゃれこうべをつくったエピソードがおもしろかった。

10歳の四谷シモン(当時は兼光少年だけど)が手でふれてなにかをつくるということに出会った瞬間。

「大げさにいうと自分の人生はここから始まったというような感じ」

という表現もわかる気がしました。

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グッズ販売で売っていた本ではなくて、

「四谷シモン 人形愛」の図録にサインしていただきました。えへ。


「種村季弘展、楽しみにしています」
というようなことを、ボソッとお伝えしたら、

最高の笑顔を見せてくださって、ちょっと泣けたです。

また、いろいろ思い出して書こうと思います。


ではでは。