きのう、この本を見かけたときには、
「勉強のために買ってよもうかな」でしたが、
はっはっはっは!
目に付いたところからパラパラ読んでいるのですが、
これがなんとも可笑しい。
「ひいらぎの生垣」
毎朝散歩するコースに中野重治の家があり、ときに散歩の途中で
すれ違ったりする。
声を掛けようと思うわけだ。思うんだけど、なんて切り出したらいいのかと
思いを巡らす。それがことごとく可笑しい。
内気なのかと思っていると、中野重治を、
もっさりした服装でもっさりと歩いておられた。
と一筆書きのようにさらっと描写してしまう。
正月に松の内が過ぎても門松を取らずにそのままでいて、9日がすぎても
そのままでおいて、しきたりを守らない家はうちだけだろうか、と自転車でほかの家を
見にまわる。可笑しい!そしておなじように門松が出しっぱなしだったのが中野重治さんのおうちだったわけだ。
文章が可笑しいというのもあるけど、やっていることがすでに可笑しい。
東海林さだおか内田百間の世界である。
彫刻家仲間のことも描く。
本郷新のことは、
本郷さんは、なんでも先頭に立って突進した。彼は、人より前にいなければ気がすまない。
何人かで道を歩くときも、一ばん前を歩いた。
自信満々だったかと思えば自信喪失し、愛すべき先輩だった本郷新が亡くなり、
遺作の除幕式で挨拶をしたときのことを、
詩人の真似のようなことを言って、追悼の辞をうまく述べたつもりだった。
自分に対しても他人に対しても、平等に客観的だからだろうか。特におかしいことを
書こうとしていないのに、にじみ出てくるものが可笑しい。
長女の千枝子さんの名付け親が高村光太郎だったというのもこの本ではじめて知った。
きっと盛岡の人なら誰でも知っているエピソードなのだろうけど。
その千枝子さんをつれて花巻に帰る高村光太郎(東京に近々戻ることが決まった頃のことだった)を
見送りに盛岡駅に行ったときに、
高村光太郎が、
「オジサンヲ、オボエテイテクダサイネ」と高村さんは、子供にわかるように、ゆっくり言ってくださった。娘は「ハイ」と言っておじぎをした。
これだけの文字数なんだけど、イメージがふくらむんですね。
高村光太郎が芸術家の生きる道について、盛岡に来た時に若い人たちと
飲んで語った時に、
「「芸術は売りものではない。かんたんに金に換えようなどと思ってはいけない」とそこまで
話が進んだとき、一瞬私の方をチラッと見て、
「もっとも家族が大勢いる人の場合はそうも言っていられないでしょうが…」と言われた。
その時の話の唐突な変わり方、芸術の孤高を解いてきた話としては腰砕けのような脱線であった。
私にはこの時の高村さんの心の中のゆらぎに、人間らしい素晴らしさを感じた。」
人間らしい素晴らしさは舟越保武の文章である。
床屋で俯けになって髪を洗ってもらうのがどうにも苦しくて我慢できない話や、
6人のこどものうち、4人の娘たちはいいとして、ふたりの息子のことが心配だ、とつづっておいて、
最後に次男の作文をそのままぽんと載せる。その作文がまたお父さんの血を引いてなのか、絶妙に可笑しい!