山岸凉子の「ケサラン・パサラン」、家を建てようと思っているひとは
このマンガを読んではいけません、という注意書きつきで連載されていたのでしたが、
その連載当時はまさしく家に引っ越したばかりだったので、なんとなく敬して遠ざけており、
最近買って読んだわけですが、
そのちょっとまえに「週刊モーニング」にも鬼門をモチーフとしたマンガも読んだので、
鬼門、気になってしまって…。調べたら怖いことがわかったんですがそれはまたあとで。
主要なモチーフは、主人公のイラストレーターで40代終わりから50代にかけて
(物語の中で時間の経緯とともに顔もごらんのように簡略化されていったのでした)
姪の紫苑は美大生で卒業し結婚するところまでで、
ふたりの関係はしっかりものの姪と夢見がちな叔母の関係なのですが、
夢見がちで生活能力は皆無らしい由良子さんと料理上手でしっかりものの
紫苑ちゃんという組み合わせに対して、
夢見がちではあるものの、由良子さんよりもうすこししっかりしているように
見える聡子さんは夏夜の放恣な態度に叱責はするのですが…。
時代背景もあって、1980年代に描かれた「星の…」では主人公は三十路近い年齢が
なにかに乗り遅れた人のような扱いでしたが、
2010年代の「ケサラン・パサラン」ではアラフィフの主人公の生き方も、とくに人から咎められたりしないし、
本人も年齢や独身であることについては、どーでもいいじゃないの、と思っている。
その違いはあるにしても、山岸凉子のマンガに繰り返し出てくる、
叔母と姪の関係って、なんの比喩なんだろうなあと。
ちょっと叔母さんをかるく見ている、ような姪が多く、
叔母さんはイラストレーターだったり少女漫画家だったりして、
山岸凉子の分身のように読めてしまう。
それにしても、こんなに叔母と姪(または若い女の子を引き取ったり、育てたりする)
の物語がこんなに多いのは珍しいのでは。
考えたら、「テレプシコーラ」の主人公の六花ちゃんとお母さんの教室の先生でもある、
金子先生の関係も、先生と教え子というより、優しい頼りになる叔母と姪のような関係だったかも。
山岸凉子のマンガを全部並べて、叔母と姪、あるいは擬似叔母と姪の関係にある
ペアを抜き出したらけっこうあるのではないかと思われる。
母と娘よりも逃げ場がある、ズラして描けるということもあるかもしれないし、
若い姪に夢見がちな叔母へのツッコミ役をやらせることでユーモアと客観性が生まれるという
こともあるのかも。
ときどき、
なんで叔母と姪なのかなーと考えて、結論を出さずに、
こういうことかもしれない、もしかしたらこういう意味もあるかもしれない、
と考えるのが楽しい。のでとくに結論はないです。
ではでは♪