きょうは学芸員によるコレクショントーク、萬鉄五郎の日。


主任専門学芸員 根本さんの萬さんの解説にはたぶん、

3回目の参加ではないかとー。


やっぱり学芸員の方の解説を聞いて勉強しようと思うのもあるし、

だんだん、マンネリに流れていく自分の解説を軌道修正しようというのもあるし、


新しい刺激を入れようという気持ちがつよいです。





少し遅れて到着したので、萬さんが東京美術学校(いまの東京藝大美術学部)

の西洋画科の学生の時代から参加であります。






当時の東京美術学校は1,2年、3,4年のカリキュラムが同じだったので、

岩手県立美術館所蔵の五味清吉にもやはり学生時代におなじ教室で裸婦を描いた

作品があるのですが、


この裸婦を背中から描いてその奥に裸婦を描く学生という構図が萬鉄五郎的…。

しかし鍛えられたいい僧帽筋だよなあ。。。と私の関心はそこです。おしりの上のエクボもいいなあ。


この時代はまだ先生の教えに忠実に従って陰影をつけ、立体感をだしています。


先生は黒田清輝(なぜかPCだとクロダセイキでは出てこなくて、クロダキヨテルと入力させられてしまう。

正解はセイキさんだ)。





透明感があって、やっぱり絵が上手だったんだなあと思われる。

陰影に黒を用いない。




で、こちらの学生結婚した奥様の絵の解説で、

右奥のカーテンについて触れられたのですが、



なんということだ。私はいままでこのカーテンに全然

気づいていなかったということが判明。


奥さんと水色の着物の膝のあたりのタッチと、椅子の背もたれのぐんにゃり加減に

気を取られていました。。。これは一例ですが、


学芸員さんの解説を聞くと、自分が思い込みや勘違いに気づくことができて、

軌道修正できるなあと。


あとは、なんとなく、これでいいかな、と自分に甘くなってやっていたところを、

いやもう少しちゃんと調べて解説しようよ、と見直せるというか。











「仁丹とガス灯」~一枚一枚タッチの違う自画像は

1912年にみな描かれていたと思っていたのですが、


「赤い目の自画像」はもっと時代が下がるのではないかということです。



着物のカクカクした三角形ところや、塗り残しがあるところに、なんとなく、セザンヌの風景画を連想していたのですが、風景画の上に重ねて描いたものらしい、というお話を伺って、勘が当たったようでうれしいですが、



この強烈な赤と、卒業制作の「裸体美人」の赤がおなじだと思っていて、

2点を比較して解説したこともあったので、時代がもう少し下がると聞いて、


あれれ、と。


思い込みの解説はやらないようにしようと思っていてもこれですよ。

私もデタラメにやっているわけでもないのですが、図録などにある制作年は

暫定だったり推定だったりすることもあるので、


出品記録も参考にしないとなあと。




萬さんが晩年を過ごした茅ヶ崎時代の水彩画。


大下藤次郎の水彩画に影響を受けて、通信教育で

水彩画を描いていた若い頃を思い出して描いていた…くらいにとっていたのですが、


未発表で自由に描いた水彩画は、水墨画のための

習作であり、


新しい技法を追求しなければという使命感が

ない分、のびのびと明るい色調で描かれていて、

元々はこういう絵のひとなのではないか、ということを

たぶん違う言葉で語られていて、


目からウロコだった私です。


私は新しい境地をまた探している過程だと思っていたんです…

解釈はいろいろ、ともいう言い方もできるのですが、


いろいろ軌道修正しなくては…。







東京から妻子をつれて戻った土沢時代の絵から

色がなくなっていったのはなぜか、


というについて、


経済的な理由、精神的な理由もあるとは思いますが、


キュビスムは形の追求なので、ピカソもキュビスムの

絵は色をつかっていない(言葉は違うのですが)、

という解説を伺って、


キュビスムは形の追求、これは使える!と思って、

あとでピカソのキュビスム時代の絵を見よう(図録で)と思ったです。




萬鉄五郎の代表作といえば、現在の私たちだと

「裸体美人」が浮かぶと思うのですが、


当時萬鉄五郎の名前を美術界に知らしめたのは、

二科展に出されたこの絵だったというのも目からウロコでした。


もしかしたら基礎的なことなのかもしれないけれど、

てっきり「裸体美人」が当時から有名だと思っていたんですよね。



常設展示3期(10月4日~2015年1月18日)では萬鉄五郎の版画特集があり、


また、11月30日(日)14:00~15:00にある、学芸員講座 第一回 「萬鉄五郎研究:版画の巻」も

聞き逃せないです。



ではでは。