この夏はそれまで一度も見たことのない、猪熊弦一郎の美術館と美術展に
出かけたのですが、
なんで?
と言われてもよくわからない(笑)。
すきだ!という画家の美術展に行くのは確かに楽しみですが、
それまで全く関心のなかった作家の美術館や美術展に出かけると、
これは予定調和を突き破る快感があります。
自分はこういうものをいい!と思うんだ、という自分の発見というか。
「どんなことをしても僕なんだ 猪熊弦一郎展」は、美術館自体もはじめてのところで、
中村研一記念 小金井市立はけの森美術館への道も旅のようでした。
すでに、丸亀市で、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の常設展示を見てはいたのですが、
こちらでは小学生時代から絵が抜群に上手く、教師のかわりに教えていたという、その小学時代から晩年の自在な作品の数々まで、編年体式に展示してあり、その変貌ぶりに上手い人はここまで技術を捨てられるものかと驚いて、爽快でさえありました。
1940年、パリ空襲のさなかに描かれた「マドモアゼル M」。この絵を最後にパリから帰国します。
丸亀の小学校時代の絵。4年生。当時すでに先生のかわりに教壇に立って絵を教えていたというのも納得であります。
4年生の絵なのに、もう完成している。付け足す隙がない。
四国の丸亀と、東京の小金井をつなぐ猪熊弦一郎。
そして、パリと日本をつなぐのが藤田嗣治。
![{B77F5FF4-0C7E-48E1-9199-4548631C4EF3:01}](https://stat.ameba.jp/user_images/20140911/11/withwitch2/65/d1/j/o0480036013063131497.jpg?caw=800)
これは猪熊弦一郎の絵ですが、
藤田嗣治がメキシコ滞在時代に描いた大きな作品を連想しました。
図録などもっていないのですが、それまでの乳白色の繊細な女性たちの絵ではなく、
メキシコの大地に立つ茶色の皮膚の人々の群像。「秋田の行事」につながるような感じの絵です。
どこでみたのかなあ。たぶん、弘前市博物館だったと思うんだけど。
猪熊弦一郎は1902年生まれ。1886年生まれの藤田嗣治にとっては後輩でもあり、パリでも親交があったそうです。
そして、藤田嗣治といえば猫ですが、こちらの猫は、
はけの森美術館のもとになった中村研一の描いた「富子猫」。常設展示室に奥様の写真も展示されていたのですが、この猫の雰囲気にそっくり…いや猫が奥様の雰囲気にそっくりなんですけどね。
で、こちらはやはり中村研一とも親交があった藤田嗣治の描いた「研一猫」。
藤田嗣治の絵はいろんなところで、ポッと出会うことがあり、
盛岡出身の澤田哲郎(1919生まれ)が藤田嗣治に17歳から師事していたということで、
夏にあった澤田哲郎の展覧会では、その藤田嗣治が描いた25歳の澤田哲郎の肖像も出ていました。
前は芸術の世界は作品だけが全てで、周辺のことなどどうでもいいんだと思っていましたが、
いまは影響を受けた画家や旅した国や住んだ土地や、猫がすきだったとか、お酒がすきだったとか、そういうことも全部ふくめて作品なんだと思ってみている。
はけの森美術館、いつものバタバタ美術館スタンプラリーでは立ち寄れない美術館ですが、この日はここで偶然見た、
武蔵野美術大学の「オオハラ・コンテンポラリー・アート・アット・ムサビ」を見に出かけたんです。最終日でした。
そしてここで「オオハラ・コンテンポラリー・アート」を見たことが、いろんなものにつながった気がします。