こんにちは。

盛岡に引っ越してきてちょうど10年間。

引っ越してきた当初住んでいたのが美術館と

おなじ蛇屋敷(という地名があるです)の某社宅だったので、

よく遊びに行ってました。もっぱら美術館前の原っぱで

息子を放牧するんですけどね。

6歳までは何度か、往復はがきで申し込む、

「おやこ de アート」にも参加していました。

文字通り、親子でアートに参加だ。

当時は診断がついていなかったけれど、

ふつうの子でも絶好調の年頃である。当時できたばかりの

イオンにも連れて行っていたけれど、迷子も始終だし、

よその親にも店員さんにも白い眼で見られるし、

気持ちが休まることがない。大げさか。だいたい当時の息子は

まだ文字が読めなかったので、

退屈を紛らわすすべがなかったんだと思われる。

そんな中で、時々当選する「おやこ de アート」は貴重でした。


ものをつくることについては当時から熱心だった息子ですが、

大学生ボランティアの親切な指導により、息子も落ち着いてすきなように作業

していました。


3歳から6歳の間に、何回参加したかなあ。


息子が幼稚園に入ったあとは、市内の友達と美術館へ行ったりもしました。

「ロダン展」とか、「エミール・ガレ展」とか、「日曜美術館展」とか…。そのころは

投稿もやっていたので、ペアチケットが手に入ると友達に電話だ。


その後いろいろあって、引っ越しして、落ち着いてからまた美術館に行ったり。


美術館友の会に入ったのは2010年だったかなー。翌年に東日本大震災が起きて、

2010年度会員のひとは2011年度もひきつづき会員です、という文書がきて、

でもこの年はあまり行かなかった。


2012年に思い切って美術館友の会会員からステップアップ(なのか?)して、

ボランティアに入ってみました。総務、企画、発送、解説とあって、解説をやってみることに。



が、この時点で私は解説がなにをやるものかまったくわかっていないのである。


実際に解説をはじめるのは1年後でしたが、特にせかさせれることもなく、萬鉄五郎関係の本を読んだり、

ほかの方の解説を聴いたりして、気長に勉強…していたんですが、


締切がないと勉強にも身が入らないので、よし、今年こそデビューだ!と2013年春にデビュー。


最初はよくあれで、というくらい無知だったのにむしろ堂々としていたなあ。


私は0地点からのスタートなので、伸びしろがなにしろでかい。


印象派、ポスト印象派、外光派、脂派、紫派、東京美術学校、岡倉天心、エコール・ド・パリ、未来派、野獣派、ナビ派、キュビスム、南画、文晁、マティス、ルオー、大下藤次郎、ヒュウザン会、、、


解説をはじめてから、前までは興味がないのでスルーしていた日本の近代洋画をよく見るようになり、そうしているうちに、だんだん、おもしろくなってきて、


すきな絵の範囲がかなり広がり、


もとが0なだけに、相当な知識を短期間に入力したなあと。


知れば知るほどもっと知りたくなり、見たい絵がふえていくし、

知識が増えるにつれて、いろんなことがネットのようにつながっていくのがまたおもしろい。


というような感じで、岩手県立美術館を核として、いろんな美術館や美術に関するものに

手をのばしている私なんでした。


書こうと思っていた記事はべつのことなんだけど、まあいいや。


次に書こうっと。