さながらです。
いや、「鬼姫」ももともとはなにも知らない、おとなしい村娘だった。
治済は生まれつきの怪物で、そこには同情させるものは一切なく、
ただ、作者のよしながふみもどこかでこういう、言葉の通じない、
微笑みの底でなにを考えているかわからない怪物に出会ったことが
あるのではないか、と思わされる。
退屈しのぎに豚の子のように生まれる家斉の子を適当に間引くのも
容易すぎて…。
これが本心であって、この怪物を抑える手はまったくないのである。
連想したのは、山岸凉子の「日出る処の天子」の続編(というか
後日談)で、聖徳太子の血がどのように受け継がれたかであります。
眼も見えず、耳も聞こえず、歩くことも話すこともできないはずの、
馬屋古女王がその美貌と超能力(という言葉は出てこないのですが)を
受け継ぎ、
女嫌いで毛人に報われない恋をしていた太子とは対照的に、誰でも拒まず、
性欲も食欲も恣である。
吉宗の血を受け継いではいても、吉宗の中にこんな怪物のようなところが
あっただろうか。
怪物はみるからに醜悪で獰猛ではなく、
微笑みながら足で幼児を踏みつけるのである。
母に似ず、志のある十一代家斉はどのように出るのか。
家斉に天誅は下るのか。
「大奥」も着々と幕末へむかっておりますが、
広告が入っていた「きのう何食べた?」も、
シロさんが50歳になり(たぶん、私より1学年下の東京オリンピック年生まれだと思われる)、
一緒に「完」になったらどうしよう、というのがいまの
不安です。
きょうこそ「きのう何食べた?」の新刊、買いたいなー。
(空港書店ではさすがにそこまでは網羅していなかった…)