「大奥 11巻」。新千歳空港の書店で購入しまして、
仙台行のエアドゥでよんでました。
家光や綱吉は暴君であっても、そこには同情の余地があったというか、
過酷すぎる運命の中で、そうでもするしかなかったのだろうと思わされる
ものがありました。
しかし、治済は自分は将軍などになったら子づくりに
追われて政ができないから、将軍はわが息子にさせて、
自分がトップにたちたい、しかも志は一切なく、
たんに権力を握っていい気分になりたいからという、
肥大した欲望があるだけ…。
どちらも八代吉宗の孫ですが、外見がいちばん吉宗に似ているものの、
中身は正義感がつよすぎるあまりの単純すぎる定信と、
対照的に一見おとなしく淑やかに見えて、裏で暗躍する治済。
その微笑みながら残忍なことをやる姿は楳図かずおの「鬼姫」
さながらです。
いや、「鬼姫」ももともとはなにも知らない、おとなしい村娘だった。
治済は生まれつきの怪物で、そこには同情させるものは一切なく、
ただ、作者のよしながふみもどこかでこういう、言葉の通じない、
微笑みの底でなにを考えているかわからない怪物に出会ったことが
あるのではないか、と思わされる。
嘘をつくことに痛痒も感じない。騙される方が悪い。嘘をついて
なぜ悪いのか。
姉を陥れたのも、井戸に落としたのも、そしていま自分の母親を
毒で弑し奉るのも、自分であるとすらすらと答え、
「退屈だったからよ」
と倦怠している目で語る。
のちの十一代家斉のお付きの武女に毒を服ませる。
家斉が転んでけがをしたことの責任を、という名目だが、
退屈しのぎ。
と目がいっている。第一、治済は家斉のことをかわいいと思っている
わけではないのだった。
三代将軍家光可愛さのあまりに、人を殺せと命じることに
顔色一つ変えなかった春日ともちがう。春日には高い志があった。
戦のない徳川の治世という。
子づくりをしていたら政はできないじゃない、と、いいながら、
家斉とその正室、側室の間にできた子供たちを何食わぬ顔で毒殺し、
のみならず、双方に互いの悪口を吹き込む毒の姑。恐るべし。
しかもこの上様は母には一切頭が上がらないのである。
退屈しのぎに豚の子のように生まれる家斉の子を適当に間引くのも
容易すぎて…。
これが本心であって、この怪物を抑える手はまったくないのである。
連想したのは、山岸凉子の「日出る処の天子」の続編(というか
後日談)で、聖徳太子の血がどのように受け継がれたかであります。
眼も見えず、耳も聞こえず、歩くことも話すこともできないはずの、
馬屋古女王がその美貌と超能力(という言葉は出てこないのですが)を
受け継ぎ、
女嫌いで毛人に報われない恋をしていた太子とは対照的に、誰でも拒まず、
性欲も食欲も恣である。
吉宗の血を受け継いではいても、吉宗の中にこんな怪物のようなところが
あっただろうか。
怪物はみるからに醜悪で獰猛ではなく、
微笑みながら足で幼児を踏みつけるのである。
母に似ず、志のある十一代家斉はどのように出るのか。
家斉に天誅は下るのか。
「大奥」も着々と幕末へむかっておりますが、
広告が入っていた「きのう何食べた?」も、
シロさんが50歳になり(たぶん、私より1学年下の東京オリンピック年生まれだと思われる)、
一緒に「完」になったらどうしよう、というのがいまの
不安です。
きょうこそ「きのう何食べた?」の新刊、買いたいなー。
(空港書店ではさすがにそこまでは網羅していなかった…)