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大塚国際美術館で、見つけちゃった!の、

ラファエル・コランの「フロレアル」。



コランさんは黒田清輝の師匠。黒田清輝も17歳でフランスに法律を学びに行ったという時点でどえらい奴だと思うが、フランスでいきなりの方向転換をしちゃうのも凄い。で、コラン先生は黒田清輝の絵を見て、シャヴァンヌに紹介状を書いてやり、

黒田清輝はフランス留学最後の年にシャヴァンヌに会いに行っております。

シャヴァンヌの作品は障壁画と言われるものが多いのですが、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムの「シャヴァンヌ展」ではその世界を一望できて、また黒田清輝の「昔語り」の下絵も併せて見られて

そこから黒田清輝に対する考えが少し変わったかなあ。

フランスから帰って東京美術学校の西洋学科の主任に迎えられて、順風満帆の優等生の印象派
チルドレン、と思っていたんですが、

考えてみればこの人も裸婦を描いて発表しては物議をかもしていたわけで。

で、コラン先生を師とした日本人留学生は多いのに、コラン先生の絵をみることが
あまりなかったので、この一枚に大喜びしたわけです。





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図書館から借りてきた「別冊太陽 裸婦」。

この本、見ているだけで楽しくなってくるので、
2回目です。なにが楽しいかって、明治大正の洋画家の
錚々たるメンツの裸婦像が一堂に会するわけでして。

こういうのがはやりだったんだな、というのもわかるし、
師匠の影響ってあるよね、というのも一目瞭然だし。

表紙は有名な黒田清輝、「野辺」。ポーラ美術館所蔵。

これも有名なエピソードですが、のちに国の重文となった、
黒田清輝の絵を画商が持ち込んできたときに、
大原総一郎は一蹴し、重文となってから周りの人が買っておけばよかったのに、
というようなことを言ったら、

「印象派のエピゴーネンのような絵は買わないのだ!」と。

かっこいいなあ。

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で、こちらが萬鉄五郎の卒業制作「裸体美人」。

東京国立近代美術館でこの絵の前に立っていると、
容赦ないコメントが耳に飛び込んできて笑えます。

「美人じゃない」(ごもっとも!)
「鼻の穴まで黒々と描いてる」
「腋毛まで描いている」(おっしゃる通り!)

容赦ない言葉が、かえってこの絵がスルーできないパワーを秘めていることを
物語っております。図録でみると赤いズボン(なのか?)も肌の色もいまひとつだけど、
これはスマホで撮った「裸体美人」でして、だいぶ、なまに近い発色ではないかと。

先生の「野辺」」に対する、対抗心むんむんの絵に思えますが、
はたしてこの解釈でいいのだろうか。

一気に描き上げたように思えますが、萬鉄五郎はひとつのモチーフを
描くとなると、いくつもの下描きや素描を重ねて、構図も練りに練って仕上げます。

室内でモデルを戸板に乗せて描き、風景とは合成しております。



この黒髪を敷いて腰に赤い布を巻いて横たわる裸婦、
という構図が流行していたようで、

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こちらは岡田三郎助の「花野」。

ちょっとミレイの「オフィーリア」っぽくもありますね。

岡田三郎助は東京美術学校で黒田清輝に学んだあと、
その紹介状を携えてフランスへ留学、コラン先生の教えを受けてもおります。

いろいろ納得です。

ちなみに、去年、岩手県立美術館であった「いわさきちひろ展」で知ったのですが、
彼女は岡田三郎助に絵を習っております。

ということは、いわさきちひろは黒田清輝の孫弟子…。コランの孫弟子でもありますね。



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こちらはその岡田三郎助と生まれた年や出生地、東京美術学校出身でのちに

その教師になっているなどと、共通点が多い藤島武二の裸婦であります。


藤島武二というと、印象派風のバタ臭い、きれいな女性像のイメージだったのですが、

たまたま読み返した森茉莉関係の本で、妹の杏奴の媒酌人が藤島武二と知って、



なんで!と思ったけれど、


森鴎外が東京美術学校(現東京藝術大学 )の嘱託教員(美術解剖学・審美学・西洋美術史)をはじめ、慶應義塾大学の審美学講師、「初期文展」西洋画部門などの審査員、帝室博物館 総長や帝国美術院 初代院長などをつとめたというのもあるだろうし、


夫の小堀四郎が東京美術学校では藤島武二の教え子だったからというのもあるのかなあ。


猪熊弦一郎の美術館や美術展に行ってにわかにファンになったのですが、

(心底ミーハー)東京美術学校時代の先生が藤島武二だと知って、


なんでやねん!と。


思ったのですが、この裸婦像を見たら、ありかも、と。



そして猪熊弦一郎と小堀四郎が東京美術学校時代、同期だったというのも

いま知りました。なんでも調べてみるものだ(笑)。


森茉莉がすきだったので、彼女のきょうだいが書いたものも読み、鷗外も正直退屈なものもあるんだけど、

いやいや、読まないとな!と思って読み、もちろん、茉莉のお母さん名義で発表された、実は鷗外が相当手を加えたらしい、「波瀾」も読みましたとも。


森茉莉に関する本はけっこう網羅してきたつもりでしたが、


まさか絵つながりがあったとは…。


茉莉が絵を習っていた時代があるのですが、その先生もやっぱり白馬会の画家でして、

調べることに終わりってないんだなあと思う私です。


森茉莉が絵をもう少し長く勉強していて、「贅沢貧乏」系列の作品にイラストをつけていたら、

いまのエッセイコミックの元祖になっていただろうなあ。。。惜しい。

(裸婦からずれてしまったが、このずれ加減も長年森茉莉を読んできた影響であります)