このパスポートは高知駅前の、
「とさてらす」で作ってもらいました。
私が高知を巡った日は16日でしたが、
その前日の15日にパスポートをつくったひとが8万人に達したそうです。
すごい!
高知家というブランドについてもこちらに来てからやたら
目にするので、いまネットで調べたら、広末涼子さんの
CMを見ることができました。
なんとなく東京出身の女優さんだと思っていたら、うまれは横浜だけど、
高知県高知市育ちなんですね。「高知は大きな家族やき」
直島や豊島をめぐっていたときは、ああ、やっぱり西だなあ、と感じていたのですが、
四国でも県によって方言がちがうんでしょうね。
やき、というと、宮尾登美子の「陽暉楼」とか「朱夏」とか「仁淀川」を思い出すなあ。
「おもてなしスタッフ」の女性はみな、きれいだった。
あんまり、はちきん、はったか、みたいな感じではないな。
この日、観光した3か所。コースで回ってもらう観光もあるんだけど、
私はこことこことここに行きたい!というのがあるので、
コースの旅行向きじゃないんだな。
このスタンプを集めるというのが、やっぱり楽しい。
スタンプ帖、持って行ったりいかなかったりだけど、
駅スタンプを見ると手持ちのノートにとにかく押したくなる性癖があり。
絵金蔵、ここはアクセスしづらいところかもしれないけれど、
赤岡町を町歩きするのも絶対おもしろい。
運転手さんがおすすめしてくれたお店がお盆休みで残念だったけれど、
時間があったら、降りて1時間くらいあるいてみたかった。
そして高知城。
私が高知県という地名に興味をもったのは、
高1の9月の音楽の授業前の昼休みに、
図書館に入ったばかりの
「新潮現代文学 69 倉橋由美子」をなんの予備知識もなく借りて、
音楽の先生には申し訳ないが、音楽鑑賞の時間はほとんどの生徒が
ほかの教科の勉強をしているか、寝ているかだったので、
私が机の下で本を広げて読んでいても見逃してもらえるかと。
倉橋由美子と音楽室とクラシック音楽は妙にあっていて、私はこの
シチュエーションで読んだ「聖少女」を忘れられない。
(その後も何十回となく読み返したわけですが)
まちの本屋さんに行って、ビリジアンの背表紙に白抜きの倉橋由美子の文庫本を
全部買って読んだ。あっという間に読むものが尽きたので、
その後アルバイトのお金で「倉橋由美子全作品」(8巻 新潮社)を手に入れ、
高2の秋に「城の中の城」を読むころにはすっかり倉橋由美子の虜になっていたので、
ふつうの高校生ならぼちぼち受験勉強に入っていたと思うんだが、
いくらやってもやっても成績が上がらないのにもうすっかり嫌気がさしていて、
「城の中の城」に出てくる本を片端から読んでいた。家庭内における宗教戦争の
話なので(まとめるとね)、ついでに世界史や倫理社会の教科書も見ることになり、
成績がややあがった。というより、倉橋由美子の本が私の教養書だったのでした。
ブリューゲルもヒエロニムス・ボスもダリもクラナッハも、万葉集も川端康成もカフカも
カミュもサルトルも、モンクも、倉橋由美子を読まなかったら少なくとも高校時代によむことは
絶対なかったと思われる。
私の手持ちの知識のかけらはみんな中・高時代のマンガと小説に出てきた本や絵がベースなのでした。
いやー、けっこうすごいっす。カントの「純粋理性批判」も忠津洋子の「結婚の条件」で読んだっす。意味がわかったかどうかはべつにして。
15歳から25歳まではほんとうに倉橋由美子を絶対神としてあがめていたといっても過言じゃないですが、
同じころから読んでいた金井美恵子のほうがだんだんメインになり、金井美恵子のエッセイや小説に出てくる
本や絵を追っかけるのだけでも大変になったのと同時に、
倉橋由美子の「大人のための童話集」がベストセラーになったところで、やや冷めてしまったんだなあ。
こういうことが私はよくある。
その倉橋由美子の出身地で、宮尾登美子とちがって、純文学のひとなのであまり具体的な地名やひとは出てこないんだけど、
ふと、
「城の中の城」というタイトルも、高知城を毎日のように目にしていたから、自然に出たタイトルだったんじゃないかな、と
高知城を見てきたいま思う。
倉橋由美子の本と出合って25年目でやっと行けた高知。
帰ってきて、「夢のなかの街」をよみかえしたら、こんな描写があった。
(つづく)