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やなせたかし先生は1919年2月6日生まれで、1922年3月8日生まれの水木しげる先生と同じく、

兵隊に取られています。従軍を体験したマンガ家はほかにもいると思われますが、私の偏った読書ではこのお二人なので…。

やなせ先生は戦争で一番辛かったのは空腹だった、と、

『わたしが正義について語るなら』の中で、正義のついて、もし自分がなにかやるとしたら、まず飢えた子どもを助けることが大事だと考えた、それが戦争を体験して感じた一番大きなことだったと書いておられます。

それが最初の「あんぱんまん」に繋がっています。

きのうタクシーの運転手さんから、マンガ王国高知について、まんが甲子園も高知だし、高知出身のマンガ家さんの多さについてお聞きして、私もマンガがすきなので、

はらたいらの連載が学研の「学習」にのっていたことや、西原理恵子さんの「毎日かあさん」について話したりしたのですが、

まんが甲子園が高知で開催されるのは、日本漫画家協会の重鎮であったやなせ先生の存在が大きいからだと思い、

いまWikipediaをみたらやっぱりそうだった。

マンガとアンパンは、どちらも平和を訴えるシンボルに思えます。

やなせ先生のお父さんは従軍記者としてアモイで客死し、

利発で快活だったという弟さんは海軍特攻隊に志願し、

先生が戦争から帰った時には戦死していたそうです。

弟さんの戦死については、昔「詩とメルヘン」で読んだことがありましたが、

お父さんを早くに亡くし、お母さんが再婚して伯父さんの家に引き取られ(弟さんはお父さんが亡くなった時に養子として引き取られていたため、その差にも苦しんだようです)、

やなせ先生がずっと孤独と死を見つめていたことを知りました。

また、

ほんとうに偶然すぎてびっくりしたのは、

猪熊弦一郎に三越の新しい包装紙のデザインを依頼したのが当時三越の宣伝部にいたやなせ先生で、

モダンなデザインに散らした英文ロゴのレタリングはやなせ先生でした。

(この三越の1951年からの包装紙デザインについてはもちろん、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館でも年譜に書かれていたのですが、

そこにやなせ先生が関わっていたことは、先生の本をよんで知りました。

 
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当時はどちらも東京在住ですが、

香川県出身の猪熊弦一郎と
高知県で育った(高知県出身とことあるごとに語っていたやなせ先生ですが、じつは東京生まれ)やなせたかし。

不思議な縁だなあと思います。