大原孫三郎と児島虎次郎の遺志を受け継ぎ、コレクションにさらなる厚みを加えたのが、孫三郎の息子總一郎。


總一郎は評価が定まっていない作品群を独自の視点で収集し、西洋近代絵画の充実とともに、日本近代洋画もコレクションに加えていきます。


こちらの展示で最初に注目したのは、





エドヴァルト・ムンク「自画像」だったのですが、


同時期に制作された、「マドンナ」とおもしろい対照・相似を見せているので、

比較のためにちょっと並べて見ますね。




こちらはリトグラフですが、胎児と精子が額縁のように、

マドンナを囲んでいます。


一方、上の石版の自画像に戻れば、

黒の背景に首だけ浮かび上がった自画像の下に、

長い腕の骨が2本。



「マドンナ」は国立西洋美術館の常設企画展で見たのですが、


西洋美術館にはこの「自画像」はないみたい。

ということで例によって脳内美術展をやるわけですよ。

この絵の隣にこれを持ってきたいんだー。



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アンリ・アティス「女の戦」1935 木炭・紙


ムンクの版画とマティスの素描は前期~8/17、後期8/18~9/15で

展示替えになるそうです。


あの「自画像」はもう一度みたい。



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アンリ・ルソー「パリ近郊の眺め バニュー村」1909年 33.0×46.3cm


アンリ・ルソーは1844年フランスに生まれ、1910年に脚が壊疽になり、
一人で死んでいるところを訪ねてきた友人に発見されています。

最後の作品は「夢」。

「パリ近郊の眺め バニュー村」は亡くなる前年に描かれた絵であり、さらにその前年は
ピカソらによる、「ルソーを称える夕べ」が洗濯船で催されています。

サイズは小さな絵ですが、見ているうちに遠近感が狂わされ、
田園風景の左奥にある不思議な塔は、タイの暁の塔のようでもありますが、
よくみるとオリジナルだ(笑)。

巨大な牛が画面の真ん中にドーンと置かれ、そういえば牛が仏教国では
牛は大切にされるはずでは…と思うのですが、この牛はなにものなのか。



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岸田劉生「裸婦」1913年 44.0×59.0cm


近代洋画の作家もおかげでだいぶ覚えてまいりました。

岸田劉生は「麗子像」が私の幼少時に生き写し(変だな)という

親しみがあり、その濃い画風もすきなのですが、


こんなセザンヌ風のタッチの絵があったとは。


構図もユニークですよ。頭とおしりから下が見切れている(笑)。

こんなフレーミング、こんなタッチ、なんておもしろい絵なんだろう!と

思って。劉生は38歳で夭逝しますが、夭逝の画家に限って、

短い期間に驚くべき容赦なさで画風がガラガラ変わる気がします。


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萬 鉄五郎「雲のある自画像」1912年 59.5×49.0



2年ぶりにみた大原美術館所蔵の「雲のある自画像」の赤と緑の雲は、

岩手県立美術館所蔵の「雲のある自画像」のピンクの辛子明太子(あるお客様の

名言)のような雲とも違いますが、


どちらもおもしろい絵ということでは一致しています。

同じ年におなじタイトルをつけて、全然ちがう2枚の絵。


近くで見て、そのためらいのない厚塗りにまた感動しました。



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関根 正二 「信仰の悲しみ」重要文化財 1918年 73.0×100.0


この画家の名前を知ったのは、伊東深水つながりです。



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昔からすきだった、おおやちきさんのイラスト展がこちらであると知って、

東京マラソン2013の前日に見に行ったんです。


そこで、伊東深水が江東区出身で、福島県白河市出身の関根正二と友達だった

ことを知りました。


森下文化センター 伊東深水・関根正二紹介コーナー


少女マンガがすきで、それで育ったわけなので、

美人画は大好物で、鏑木清方-伊東深水ラインも当然好きに決まっている。


その後3月に大原美術館で「信仰の悲しみ」、


「若冲が来てくれました展」で福島県立美術館まで

遠征して、そちらの常設で関根正二コレクションを見て、


ブリヂストン美術館でも「子供」を見て、だんだんいいな~と思うように。


「信仰の悲しみ」は当時、看護婦さんに失恋したところで、

公園のトイレの前のベンチに座っていたら、


自分の前を通る女の人たちにこんな幻想が見えた、それを絵にしたというものですが、


ひとりだけ赤い衣の女の人は、なんの罪科なのだろうか。



私は背景を知る前は宗教弾圧の絵だと思っていて、それでも

なにかそれだけではない、不思議な雰囲気の絵だなあと思っていました。


背景を知れば知るほど、絵はおもしろくなり、もっと細部まで丁寧に

見ようと思えます。



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中村 彝「頭蓋骨を持てる自画像」1923年 101.0×71.0



図録を撮影したものなので、実際とはだいぶ違ってしまったなあ。


私はエル・グレコを連想しました。マンガ家の山岸凉子さんが、

自分はなんでも細長くデッサンしてしまう癖があって、となにかの特集で

おっしゃっていたのですが、


中村彝もそんな癖があったのでしょうか。エル・グレコもそうなのかと

思っていましたが、ギリシャのひとってそもそもが細長い(笑)。


スペシャルギャラリートークでは、描かれた手の、右手と左手の

描写の違いに注目してみてください、髑髏をもっている手は生気がありますが、


もう一方の手は死んだような紫がかった色で、力なく垂れているでしょう、

と教えてもらって、絵はそういうふうに丁寧に細部まで見るとおもしろいんだなーと。


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小出楢重「支那寝台の裸婦(Aの裸婦)」1930



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満谷国四郎「緋毛氈」 1932年 113.0×154.0(大きい絵です)

この画家は知らなかったのですが、
緋毛氈に裸婦、という対比、紅い毛氈に黒と白の狆という対比、

ボリュームのある裸婦の体つきと奥行きのない画面構成が
おもしろいなーと。

あと何回か出逢えばすきになるかもしれません。


ほかにも近代洋画の代表的な画家たちの作品が惜しげもなく並んでいたのですが、


萬鉄五郎、関根正二、中村彝

の三枚そろい踏みコーナーには胸を鷲掴みにされた感がありました。