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国立西洋美術館の常設展示のほとんどは撮影OKですが、

いままであまり撮ったことがなかった…ので今回大いに撮りまくりました。

西洋美術館のHPには作品検索のページもあるのですが、
自分で撮った画像というのは、なんとなく自分の観た絵の姿に
なっている気がして。

シャイム・スーティンの「狂女」は林芙美子の所蔵品だったということを、
太田治子さんが「芸術新潮」の国立西洋美術館特集の時に、

国立西洋美術館所蔵作品ですきなものは、というテーマに、
この絵をあげて、かつて林芙美子の所蔵品であったこともその
エッセイで知りました。

ご存知のように太田治子さんは太宰治の娘のひとりで、
お母さんが幼い治子さんを連れて林芙美子のところを
訪ねたことがあったそうです。

その時に冗談半分なのか本気なのか、治子さんを養女にもらいたい、
という話も出たそうです。

その記事を読んだのも数年前ですが、桐野夏生の「ナニカアル」を読む前だったなあ。

国立西洋美術館の作品検索では、

来歴に、福島繁太郎氏; 林緑敏氏(東京); 1960年、林泰氏より寄贈。
とあります。

緑敏は内縁の夫であり、泰は養子の男の子でした。事故で夭逝しています。


そして例によって、「シャイム・スーティン」ってどんな作家なんだろうなあ、

という好奇心から検索していたら、

名古屋市のヤマザキマサック美術館にはスーティンの作品が7点もある、という
ブログを発見。



猟地の番人 1921年


祈る人 羊肉 1920年

女の横顔 1937年頃
女の肖像 1940年
緑の木々 1923-24年



野兎 1923年


ふしのある木 1920-21年

PCで見てさえこの迫力。

国立西洋美術館の「狂女」だけでずっと満足?していたのですが、
この際、こちらの7点もいつか見たいと思うのであります。


高校生時代、太宰治もすきな作家のひとりで、東海林さだおさんが
まったくおなじことをなにかで書いていらしたんですが、

私はすきな作家の作品をまず全部読んでしまうと、次にその作家の
奥さんや子供が書いたものも読み倒すんです。

というわけで太宰治がすきだったので、20代にかけてですが、
太田治子さんも津島祐子さんもよく読んでいました。

それがいまこんな形でつながろうとは。


そしてスーティン(あ、ヤマザキマザック美術館ではスーチンになっているので、
最初検索してなんで0件なんだろう、と真面目に悩みました)について、

学芸員の方の解説を読み、ズーーーーーンと重たいものを受け取りました。


ユダヤ人迫害、ユダヤ人の中でも貧しく、家では絵を描くことを認められず、
画家として身を立てようとパリにやってきたものの芽が出ず、

貧困の中で励ましてくれていた同志、モディリアニの死。

その悲嘆に暮れていたこ頃描いた絵。

第二次世界大戦中はナチスのユダヤ人迫害から逃れるように転々と隠れて暮らし、
1943年胃潰瘍で大出血を起し、8月9日逝去。

自分の描いた作品についても、画商から自分の新しい絵と交換でひきとって、
自ら切り刻んでいたため、残された作品は多くないそうです。