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発見しちゃいましたっ!

実家から持ってきた「サザエさん」。

昔文庫本サイズの「サザエさん」が毎月4冊ずつだったか発売されて
いたんですよ。


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ものもらいができたり、靴下がそろってなかったりしても、

これでもめだたないさ、とマスオさんが言うのは、

「ピカソ展」に行ったから。



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「ゲゲゲの家計簿 上」。水木先生の赤貧と奮闘の時代を当時つけていた
家計簿からふりかえるマンガですが、


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デパートにピカソ展を観に行っているんですね。

東京文化財研究所のHP  にこんな記事がありました。




1951年08月

マチス展につゞく読売新聞社主催のピカソ作品展は

東京高島屋において二六日から九月二日まで開催された。

陳列は未発表の近作を含めて油絵一六点、グアーシユ、クレヨン、水彩画一三点、デツサン一七点、陶器一五点、彫刻一〇点、石版画二五点。


「マチス展につゞく」というので、さかのぼってチェックしてみたら、



1951年03月

待望のアンリ・マチス展は読売新聞社と国立博物館の共催で三一日より五月一三日まで表慶館において開催された。陳列はヴアンス礼拝堂のための作品三六点、油絵一六点、デツサン四〇点、挿絵本八点、切紙絵一点。(なお会期四四日間の入場者は一五万一千八百人におよんだ。)


と。



でも、神戸でもピカソ展があった、という記事がみつからなくて。



当時水木先生は、神戸で「水木荘」(水木しげるのペンネームの由来はここから)を
経営しつつ、BC級戦犯として巣鴨プリズンに収監されていたお兄さんを待つ義姉とその子と暮らしていたから、神戸のピカソ展を観に行くのが自然だと思われるんですが、



高島屋は東京だしなあ。


と思ってさらに検索をしていたら、


1951(昭和26)年
6月、アンリ・マチス展開催。
10月、パブロ・ピカソ展開催。

あれあれあれ?

もしかしたら、東京だけじゃなくて、

ピカソ展は巡回展じゃなくて、あちこちで同時多発していたのかしら。
大原美術館にほかの美術館が企画した巡回展が来るというのは
ちょっと考えられないし。



想像ですが、当時はピカソが来る!というのが今以上に話題だったのではないでしょうか。


が、それに反してまだ鉄道事情は整備されていないし、見たいという地方の人々の

気持ちに応えるべく、神戸や大原美術館ではピカソ展が開催された…のでは。



きのうこの2つのマンガに「ピカソ展」をみつけたときは、あー、長谷川町子も水木しげるも、

やっぱり勉強家だったんだなーとおなじ美術展を見たものと思っていましたが、


差異に気づいたら、いろんなことがひっかかってきて。



だからなに、と言われても困るのですが、戦後間もない時代に生きていた人たちが

どんなことを望んでいたのか、すこし触れたような気がします。