古賀春江です。
最近、にわかに興味が湧いてきて、
きのうは解説当番で岩手県立美術館に行ったのですが、
目的の一つに古賀春江に関する資料をよむこと、が入っていました。
図書館にはない濃ゆい美術資料はやっぱりもちはもち屋で、
美術館を探せ!ですね。
古賀春江の資料は12冊あって、きのうは3冊に目を通しました。
古賀春江と萬さん?と思いましたが、
年齢は10歳年下(萬基準)ですが、活躍したのが大正期という
三人の組み合わせは新鮮な視点に思えました。
小出楢重はすきな画家です。そんなに見てはいないんだけど、
たしかに大正期の洋画家だなーと。
ブリヂストン美術館所蔵「素朴な月夜」。
古賀春江は福岡県久留米出身なので、石橋美術館に作品が多く所蔵されている
ようです。石橋=ブリッヂストーン=東京のブリヂストン美術館にも所蔵作品が多いです。
久留米出身の画家には、青木繁、坂本繁二郎など。
(この石橋さんがブリヂストンだと教えてくれたのは中学時代の同級生ですが、
一度聞いたら忘れられませんなー)
「素朴な月夜」について、あの川端康成が「気味悪く病的なものを感じた」と
と評している、とこの本にあったのですが、
それ、褒め言葉ですか?と。オマエモナーと。
んー、川端康成の「掌の小説」の挿絵に遣いたいくらい、
甲乙つけがたい独特の世界観ですわ。
おー、おもしろい絵だなー。あと一歩進めると、
騎馬がバイクで戦国武将が乗っているという、山口晃さんの絵になるぞ?
なんて思っていたら、この絵は評判が悪かったらしいです。
なんで?
二科展で「「海」と並べて、≪メカニズム≫の画風として批判された」
ということらしいです。
どちらもおもしろい、惹きつける絵だと現代に生きる私は思うけど、
時代背景やその時代の主流派からしたらそうなるのでしょうね。
孔雀に牡丹は円山応挙を連想させますが、
藤も搭載され、すでにこれが古賀春江独特のアイテムのひとつなんだなー、
と分かってきた、黒に白い一反もめん風の道がにょろにょろしています。
変。
変でいい!
この絵もいつか見たいなー。
これも「窓外の化粧」「海」などとおなじ手法です。
当然批判もおなじです(笑)。
「機械主義に対する幼稚なアレゴリーであり説明であるにすぎない」
(荒城季夫)。横光利一の「機械」もよんだことがないのですが、
当時機械主義の文学や絵画が流行っていたんですね。
イタリア未来派のようなものなのかなー。
このあたりはパラパラでは分からないので、あとで調べるつもり。
川端康成、横光利一、新感覚派、と高校の現代国語の文学史で
丸暗記したなー。でも横光利一は読んでない。
「花」という絵のシリーズ。
竹久夢二に傾倒していた時期があったというのも頷ける。
古賀春江=「海」と思っていましたが、キュビスム風あり、
この「花」をもっと淡淡とさせた、パスキン風の絵もあり、
その画風の変遷がおもしろい。
この絵の背景を知ると、おもしろいと言ってはいけないのかもしれませんが、
まずおもしろい、というのはその表現方法にたいしてです。
この絵はおもしろい。
背景には初めてのわが子が死産したことがあり、奥さんも自分も
病気で生活、制作などにおいて不安と焦燥に駆られていた時期に
描かれた、
わが子への鎮魂の念が込められた絵という解説文があり、
という体験をした画家の作品がいくつか思い出されます。
大原美術館所蔵の熊谷守一、「陽が死んだ日」。
この絵が見たくて、大原美術館に行ったようなものですから。
萬さんの「校服のとみ子」は生前に描かれたものですが、
翌年、結核に冒されなくなってしまいます。明るい色調で
すきな絵のひとつです。
愛児の死、は、ふつうの人にとっても痛ましい出来事ですが、
それを画布にとどめようとするのは画家なのか。
熊谷守一の格闘のような激しいタッチ、萬鉄五郎のマティス的な
穏やかな平たい塗り、そしてこの古賀春江の「観音」。
少し前に森美術館で「こども展」があり、画家たちがわが子を慈しんで
描いた絵の数々を楽しみましたが、画家が描いたわが子、というモチーフでは
(必ずしもわが子ではなく、モデルが子ども、という絵と半々くらい)
熊谷守一の「陽の死んだ日」を超えるものはいまのところ、ありません。
古賀春江については、まだまだ白紙なのですが、また時間があるときに
ライブラリーで閲覧しよう、と思う私でした。