秋田近代でやっている「大原美術館展」、Ⅳ章の部屋の福田美蘭の
絵について、
なにしろ本展の図録がないので、いや、福田美蘭展の図録に
絶対載っているはず!と探したところ、
ありましたよ.。まさかの本棚に(笑)。
私って意外にちゃんとしているな…。
「芸術新潮 福田美蘭名画をわれらに!」特集には今回の展示の
作品は載っていなかったけれど、山下裕二さんとの対談もあって、
お得な一冊です。
ちなみに銀座の古本屋さんの閉店セールで購入しました。
美術書専門店みたいで、ほかにもいい出物がたくさんありましたよ。
私ってわりにこういうラッキーに恵まれている方だと思います。
で、比較のために本家の絵がほしいなあと思っていたら、
「日本美術応援団」に図版があったので、スマホで撮ってみました。
「山水図」京都国立博物館寄託 です。
「福田美蘭展図録」から美蘭さんの自作解説を引用します。
「『大原孫三郎傳』によれば、孫三郎の泰西名画の収集と美術館の
設立は、画家の児島虎次郎によせる信頼とともに社会的な意義をもつものとして
あったが、彼の本来の好みは、その生涯を通じてきわめて日本風であったと伝えられている。
和服を愛用し、書画骨董の収集に積極的で、重篤状態にあるときも、雪舟の
『山水図』を床の間に掛けさせていたという。孫三郎の逸話を知って、彼の好きだった
山水図を見直し、
画中の松を有隣荘(旧大原家別邸)の松に、石、経(橋か?)、楼門、庵を、庭の大石、今橋、
有隣荘、大原美術館に描き直した作品。」
ちなみに有隣荘、そしてその手前の今橋です。
設計は、大原美術館や中国銀行の設計を手がけた薬師寺主計と明治神宮や築地本願寺の造営で知られる伊藤忠太、
内外装デザインは児島虎次郎、庭園は近代日本庭園の先駆者であり 平安神宮や山県有朋邸などの名庭を手がけた京都植冶の七代目小川治兵衞によって手がけられています。 緑色の瓦屋根が目立つことで「緑御殿」とも呼ばれています。
この艶やかな緑色の瓦は、 特殊な釉薬が使われており、泉州堺の瓦職人に特別注文したものです。 現在の価格で1枚3万円程だったといわれています。また、1947年(昭和22年)には昭和天皇の宿泊所として使用されるなど 大原家別邸の後は来賓館として使用され、多くの貴賓客をお迎えされていました。
長く非公開とされてきましたが、1997年(平成9年)から年に春秋2回、大原美術館主催の特別展示室として公開されています。
今橋は今橋は大正15年に天皇陛下の倉敷訪問に合わせ作られたそうです。
橋のデザインは、大原美術館の名画を集めた画家・児島虎次郎。大原美術館の設立者・大原孫三郎が辰年であることから竜の絵が描かれています。
あちこちの観光Webからいただいた情報ですが、
なぜ出かける前に調べないんでしょうね私(笑)。
でもなんでも、やってみたり、行ってみたり、味わったり、とにかく体験してから
あれなんだったんだろう、と調べる方がすきだな。
「モネの睡蓮」2002
こちらは大原美術館の「大原美術館 Ⅱ 日本近・現代絵画と彫刻」から。
解説を引用してみます。
「…この手法にならい福田が描き出したのが、大原美術館工芸館横に
ある、ジヴェルニーのモネの旧宅から株分けされた睡蓮が咲く池に、
工芸館の白壁の土蔵の外観が映り込むイメージを、モネ≪睡蓮≫のイメージと
重ね合わせた本作品である。
ここには、大原美術館内の実景と、大原美術館所蔵作品が重ねあわされており、
二重の意味で、大原美術館という特定の場所とのかかわりの中から成立した
サイト・スペシフィック作品となっている」
サイト・スペシフィック・アート サイトスペシフィック・アート(Site-specific Art)とは、特定の場所に存在するために制作された美術作品および経過のことをさす。(ウィキペディア)
んー、美術展の感想文を書いているだけなのに、なんでか
勉強になってきました(笑)。
ちなみにこちらは、国立西洋美術館のレストラン、「すいれん」の
入口に飾ってあった、ジャガード織りの「睡蓮」です。
モネの「睡蓮」のある美術館はその美術館の外観とともに
思い出せるのですが、その内部に「モネの睡蓮」の絵がある、
といった入子の構造に私は思わず微笑んでしまいます。
福田美蘭展が開催された2002年は、本家と福田美蘭の作品が
並んで展示されたのだろうなあと想像すると、それもにやっと
笑ってしまうことです。
「安井曾太郎と孫」
タイトルを書き写して見て、福田美蘭さんって言葉の感覚の鋭い
ひとだなーといまさらですが感心しています。
「モネの睡蓮」
「雪舟の『山水図』」
「安井曾太郎と孫」
「安井曾太郎の孫」じゃないんですよね。
「福田美蘭展」の自作解説から引用します。
「大原美術館所蔵の≪孫≫で作者安井曾太郎はいきいきとした孫を
画面に表すために、必要な変形、強調、省略を加えている。実際に安井が
孫を描いていたときいの様子を、安井の表現方法で描いたもの。
描くことによって、安井のレアリスムを考えてみたかった」
「孫」安井曾太郎 1950
もう一度本家の絵に戻って見ると、この絵の幼い少女の
腕や肩の動きや、脚のねじれたように見える形、いまにも椅子を立ち上がって、
おじいちゃん、そうじゃないの、こうよ、
と絵に向かって歩き出しそう。なんて生き生きした肖像画なんだろうと気づきます。
「芸術新潮」の山下裕二さんとの対談ではこんなことをおっしゃっています。
「私の作品が、見る人にとって、自分はこの絵をこう見るというきっかけに
なってくれたらと思いますね。
そういう意味で、私は自分の作品を「装置としての絵画」と言っているんです。
私の絵を見るだけで終わってしまわないで、もとになった名画のすばらしさを
再発見してもらいたい、そういう気持ちが強いですね。
美術が分からないと言う人はたくさんいるけれど、名画に親しむことから入れば
いいと思うんですよ」
平易で沁みこみやすく、繰り返し味わいたい名言だと思います。
ちなみに、Ⅳ章の部屋で11歳の息子がいちばん気に入っていたのは、
福田美蘭の作品でした。
福田繁雄大回顧展も二戸シビックセンター福田繁雄デザイン館、そして福田美蘭展も見ているので、
「いい意味で親も親なら子も子だよね!」
と、もちろん、ものすごくいい意味をこめて語っていました。