きのうの桂歌丸独演会の記事です。



開口一番 柳亭小痴楽   「真田小僧」 

白っぽい着物に羽織も涼しい白で、金坊と職人のおとっつぁんのやりとりがおかしい。

これがこすっからい子どもで、最初はのんびりした感じだったのに、

お金をうまいこと父親から引き出すあたりになるとはしっこくなり、

父親がやった真田幸村の講釈を一度で父親の口癖まで覚えてやったところでドッとウケる。

オチはうちの真田も薩摩に下ったか。

そして待ってました、桂歌丸師匠の登場!

緞帳が上がると、金屏風の前には黒の紋付の羽織に、金色にも見えるくらいの濃すぎない茶の着物の歌丸さんが。

電力ホールは黒のギャザーの多い幕が使われていて、金屏風が映えるのですが、その前に端座した歌丸師匠の着物も金色っぽく見えます。

噺に入る前に、この4月からの病気づくめと入院について語るんですが、

咳一つで入院になり、一度退院したかと思ったらまた入院で、結局2ヶ月の入院生活。

病院って退屈ですね、と嘆息して会場が大笑いする。ものすごく可笑しい、笑わせてやろうということを口にしているわけではないのに、

間の取り方が上手くて笑ってしまう。

手や目の表情、両腕をバッと広げる身振りなど、見ていてポーズの一つ一つが絵になるんですよ。

入院していると陰気になりますな、と言って入院生活を和ませてくれた看護士さんの注射(明るく元気な挨拶で入ってきて、はい、刺しますよ、せーの!ブッスーと注射して笑わせてくれるんだそう)、お見舞いに来てくれた笑点の面々のそれぞれのお見舞い、

しんみりさせたかと思うとオチがあり、この挨拶だけでもうたっぷり笑わせてもらった。

まだ完全に治ってはないなくて、きょうは


三遊亭圓朝作「真景累ヶ淵」のうち、予定の
第四話「勘蔵の死」だけやることをお許しください、と挨拶があり、



「放生会 」


欲深い鰻屋の亭主と、信心深いご隠居さんの掛け合いが可笑しい。

殺生はおやめなさい、とうなぎを買って川へ放してやる。


この噺のまえに、南無妙法蓮華経、と唱えると上に伸びる、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、と唱えると下向きになって陰になる、

と、陰気陽気の話をしていたのですが、そこから信心深いご隠居さんにつながり、

しかし信心深いだけじゃないところがまた可笑しい。値段を聞いて、高いな、と思いながらも財布を開いて、うなぎは素人には掴めない、ザルを貸しておくれ、と言って扇子を広げて川まで運んで橋の上から放り投げる。そこの動きがまたよかったです。


毎日のように来てはうなぎも泥鰌も買っては川に放していたご隠居さんが、しばらくぶりでやってきた。久しぶりなのでうなぎも何もない。

「なにか生き物はいねぇか」

「泥鰌は味噌汁にいれちまったよ」
「なんでもいい、そうだ、おまえ台の上に横になれ」

ということでおかみさんが放生会される生き物になっちゃう。

「いくらだ」
「100円」

「この顔が?」と目を剥いて、吉原の女だって買えるじゃないか、というようなことを言いながらも、財布を開いて、ザルじゃあ間に合わないからと首に巻きつけて橋の上に来て、

上からザッパーーーンと放り投げ、

「あー、いい功徳をした」。

ブラックユーモアの噺なのですが、本当は「赤ちゃん」をざっぱーんとやるんですね。

しかし、このあとの「真景累ヶ淵」で生まれた赤ん坊が後々残酷に殺されることから、

おかみさんに替えたのではと推察します。

怪談噺は残酷な場面が多くあっても、ここではおかみさんをざっぱーんとやって笑わせてくれました。
赤ん坊だと、いまの私たちの感覚では笑えないかもしれません。

中入があって、

いよいよ「真景累ヶ淵」第四話 「勘蔵の死」

(つづく)。