先日、土曜日に出席した、岩手県立美術館友の会による、
熊谷志衣子さんをお招きしての13代目鈴木盛久の作品についての
お話を忘れないうちに記事にしようと思いまして、
きょうはまた常設展示室で南部鉄器の茶釜と風炉を
観てまいりました。
15代目鈴木盛久、熊谷志衣子さんについてはこちらをどうぞ。
こういう気持ちが学生時代にあれば…いや、学生時代の
暗記中心の勉強が苦手だったおかげで、いまでもなにかを
学ぶことがすきなので、まあ人生収支バランスはとれているものだ。
13代目鈴木盛久についてはこちらをどうぞ。
熊谷志衣子さんの解説のスタートはこちらの、
「芦手紋姥口釜」から。
姥口とは、歯のなくなったおばあさんの口元に似ていることから。
これは蓋とウケをきっちり合わせないとダメなので、
輪口より難易度が高いそうです。
で、この芦手紋のなかに、ひらがなで、「ち」、「か」、「こ」と
書いてあるそうですよ。「ち」はすぐに見つかったんですが、
「か」「こ」は残念ながら…。
茶釜はそのままでは当然熱くて持てないので、輪っかを通して持つわけですが、
その環を通すところを、鐶付(かんつき)というのですが、
芦屋釜や天命釜では、唐様の「鬼面」「尼面」「常張」「遠山」などが多く、
近世に入ってからの釜は和様の動植物や昆虫などの意匠が多いそうです。
じつは鐶付の形が何の形なのかわからなくて、
ずっと「牛?」と思っていたんですよ。
「鬼面」でした。
こちらは「五匹馬真形釜」 手前には三頭、反対側には二頭の
馬が描かれています。
茶釜の表面に細い線が浮き上がっていますが、
これはへら押しといって、真土(まね)で作られた鋳型が完全に乾く前に、
線や模様を押すことによって、鋳型に鉄を流し込んで模様になる…。
つまり押した絵の逆になるわけですよね。
美濃紙という和紙が絵を鋳型にうつすのに使われていたそうですが、
いまの時代、その美濃紙がなかなか手に入りにくくなっているというお話も伺いました。
この馬の文様は干支が午の時の初釜に遣ったらすごく洒落ているなあと
思います。
また、釜の肌の荒々しい風合いは、やすりで作ったものだそうです。
釜肌を先に決めて、そこへへら押しで馬紋を描いたのですね。
蓋のツマミのところも、梔子の花なのですが、真形(しんなり)釜が
冬の炉手前の釜であることから、冬の茶花を添えたわけです。
私はおしゃれだなあ、という感想だったのですが、梔子の花は
アクセントというわけではなく、炉手前では男性は蓋を直にもちますから、
持って熱くないように蒸気を逃がす孔があけてあります。
私はこの蓋の深くいい色に入れた紅茶色がきになってお聞きしたのですが、
栗皮色 というのだそうです。
艶々して美味しそうな赤みの入った茶色ですね。
これは南部鉄器の仕上げに遣うお歯黒(酸化鉄)に2年くらい入れて、
深い色に仕上げたのだそうです。
私は南部鉄器の表面仕上げに漆と鉄漿を使うことをはじめて知りました。
じわじわと内側からにじむような光沢はそうやって作られていたのですね。
ガラスケースはないのですが、さすがに蓋を取って裏をお見せすることはできませんが、
と仰ったあと、また、時代とともに手に入りにくくなる材料のことで、
ちょっとびっくりするようなお話を伺いました。
藁を燻して黒くするのですが、その藁がいま手に入りにくて、
ホームセンターで「エコ藁」を仕入れて遣ってみたところ、
エコで煙が全然でなくて、燻せなかったそうです。
私はこの蓋の色や真形という、上から見るとまんまるな形が
気に入ってしまい、この釜の写真だけ多くなってしまいました(笑)。
こういう発想ってどこから出てくるのでしょう。
13代目鈴木盛久はお茶を熱心にし、お茶会にも出向いて勉強し、
さらに茶室もつくったという。
かいなでではない、自分の全身で感得したものを形にしたのではないでしょうか。
書物もよく読み、見ていたそうですが、触媒がなければ発想に
結びつかないのではないかと。
茶釜と風炉の肌の仕上げの違いもまた、見入ってしまいます。
茶釜は細やかな仕上げ、風呂は粗い仕上げになっており、
色味も光沢も違います。
大胆なデザインと繊細な配慮。
どこから見ても、完璧でうつくしいと思える形と風合いで、
形状としてはこの茶釜と風炉がいちばんほしいなあと
思った私でした。