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私はつねづね思っていたわけですよ。
この萬鉄五郎の「男」と、マルセル・デュシャンの類似性について。

でも誰も言わないし。

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で、実家においていた「キリコとデュシャン」を持ってきて、
並べてみました…。

あら。思っていたより似てないわ。残念だわ。


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美術全集は全集でもっているのはイタリア・ルネッサンスくらいで、
あとは端本ですきな画家の巻だけ買う。

キリコは当時は好きだったんだと思われ。まもなくはじまるキリコ展の予習用に
持ってきたんでした。めずらしく予習します。


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萬鉄五郎室の水彩画、後期になって架け替えられていました。

きのう教えられた、額装のマットにも厚い薄いがある、というのはこれかと。

マットが薄かったらどんな感じかなーなんて想像しながら見ました。

これは萬さんの生家を描いた「中門(八丁)」ですね。
1902年というと萬さん17歳の水彩画であります。

大下藤次郎先生の「水彩画の栞」は前年1901年6月発刊。
当時のことですから、絵や画像がたっぷり入っている、という
ていのものではなく、言葉で水彩画の描き方やその魅力を伝える本だったと
思うのですが、

その言葉から自分の絵を起こしていったのだと思います。




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静物(バラ、本、リンゴ)。1903年




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静物(りんご、みかん、洋梨) 1904年頃。




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海 1906年

このスケッチも今回展示されてあります。


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アメリカ風景 1906年 


そう、萬さん、アメリカ西海岸に行っちゃったんでした。
ということは上の「海」はアメリカの海なんでしょうか。

「芸術新潮 1995年10月号 アメリカン・ドリームに賭けた
日本人画家たち」によれば、明治中期から日本からアメリカへの移民が盛んに
なったそうです。

萬さんの書簡集を読んだ時は、無謀すぎる、と思いましたが、
アメリカに移住して、現地の美術学校に働きながら通い、アメリカで
画家として成功する、いや成功したひとは萬さんの同世代にいたんです。

そして高等小学校を出たのち萬さんは中学に行くことさえ
許されませんでしたが、英語の家庭教師が来て教えてくれていたんですね。

案外英語は上手だったんじゃないかなーと想像します。




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これも水彩画です。美術学校卒業後の1913年ごろのもので、
「曇り日の練兵場」。

そう、萬さんは兵隊さんにもなっているんです。

アメリカに渡ったり、美術学校に通ったり、兵隊さんになったり、
41年の短い人生にさまざまなことがずいぶんと織り込まれていたんだなあと
思います。