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きょうは岩手県立美術館のコレクショントークの日でした。

企画展は6月8日に植田正治展がおわって、6月21日のキリコ展がはじまるまでお休み中。

だからそんなに参加者はいないかな、と思ってきたのですが、神戸からいらっしゃったご夫婦と私の3人からスタートしたコレクショントークですが、

次第に人が増え、「デミアン神父」のあたりでは周りに気をつかって、少し間をあけようかと思うほどでした。10人くらいいたのではなかったかしら。

その中に先日盛岡演劇鑑賞会の搬入作業の時に声をかけてくれた女性がいてうれしかったです。美術館ボランティアをはじめたいと思っているひとは潜在的にはけっこういるんじゃないかなーと感じています。

少しの勇気があれば踏み出せる一歩だと思って、この地元の美術館を一緒に応援し、盛り上げていく仲間がふえるといいなーと思っています。

私のセリングポイントは、ってなんでも販売に例えてしまうのですが、

「こんな私でもやっているし」ですわ。

美術を専攻したことはおろか、小中の図画工作美術の成績が本人もまわりもびっくりするくらい悪かった。

でもずっとすきで、高校では担任が心配するので美術はあきらめて音楽にしましたが、絵をみるのもすきなので、

高校の美術全集をよく見ていました。地元には美術館もなかったし、絵は美術全集で見るものと思ってました。

ま、こんな私でもはじめることはできたので、大丈夫ですよ。

美術の専門教育を受けていないし、そもそもセンスが悪いというのはわかっているので、

芸を盗むじゃないが、ほかの方のかいせつを聞くのも、最初は勉強のため、だったんですが、これも美術館の楽しみのひとつになっております。

きょうは舟越保武さんの初期の作品、「隕石」からでした。

昭和15年制作のもので、このタイトルがずっと謎で!

その頃隕石が落ちたのかな~とか、隕石に当たった古代の人の物語かなーとか想像はしても検証はしていない私なので、

きょうの解説で、「隕石」というタイトルについて、こういうことではないか、というお話を伺って、目を開かれた気持ちでした。

隕石とは天から降って来るもので、当時独学で苦しみながら自分の彫刻を作っていた舟越さんには、この彫刻は天から降ってくるように感じられたのではないか、というようなことでした。

そこで喜んでどうする、ですが、

当時舟越さんが住んでいたのが椎名町。
あの、トキワ荘の椎名町ですよ。もちろん、手塚治虫はじめとするマンガ家たちが椎名町のトキワ荘に集ってくるのはその十数年後なんですが。


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この「隕石」の壁を挟んだ裏に、奥様の道子さんをモデルにした、「婦人胸像」がありまして、どちらも同じ時期に作られたものですが、

紅霰という石はきれいだなあーといつも思っていたのですが、なんと!

じつは石彫向きの石じゃなかったんですって。若い舟越さんが彫刻には向いていない紅霰で一生懸命に作品をつくろうとしている姿を想像したら、やっぱり、ひたむきさに打たれる気持ち。

また、今回解説をしてくださったのは、学芸員の中でもベテランの方のだったので、彫刻のライティングについても目からウロコなお話を伺って、きょう来てよかったなあと。

彫刻のライティングについて、光と影のバランスなどを考えて配置してしまうけれど、舟越保武さんの息子さんの桂さんに、彫刻家は美しさではなく、いかに塊を表現するかを意識している、というようなお話を聞いて、

以来、でこぼこした塊を表せるようなライティングを目指しているけれど、絵の意識と彫刻の意識の差ということを感じる、というお話でした。

そしてたぶん、私もこんなふうな言葉だったなーで書いているので、あまりこの通りに取らないでね。

あ、そういえばこんなことも。

舟越保武さんはペンの人でもあって、多くの文章を残していますが、ペンの人ということは、あまりすべてを事実だと考えない方がいいかもしれない、デフォルメされていることもあるかもしれない、と。

学芸員の方の解説で私的に楽しみなのは、こういうことをサラッと言っちゃうところですね。

美術館の方はコレクションの画家やそのご家族とも親交があり、それだけに、グッと深いところを見せてくれるというか…。



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長崎26殉教者記念像のうち、聖人4人の像です。去年、父のことがあって結局映画まで見に行った「ペコロスの母に会いに行く」も、盛岡演劇鑑賞会で見た「樫の木坂四姉妹」も長崎が舞台だったので、長崎が気になっており。

しかし、きょう衝撃の発言が!

実際にはけっこう高いところにあり、拍子抜けするかもしれません、、、。そうなのか。

今回、秀吉のキリシタン狩りによって、処刑されることになった24聖人(石田三成が可哀想に思って、いろいろ手心を加え、処刑の人数も減らし、鼻を削ぎ落とし耳も削いで江戸から処刑の長崎まで歩かせろ、というのを、だいぶ加減したもよう)の悲惨な道中を聞いて、その惨たらしさをそのまま描いてくれ、という注文に対して、天を仰ぎ見て昇天する瞬間を作品にした舟越さん。

美術館で見るのに比べたら小さくよく見えないかもしれないけれど、それでも、見たひとは一度ぜひ、とおっしゃるわけで、

私も長崎に行ったら今度はハウステンボスじゃなくて、長崎26殉教者記念像だ。



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このあと、島原の乱の「原の城」の兵士の亡霊像(亡霊だったのか!)についても解説を伺ったのでした。



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いままでボランティアの解説をふくめて、何度も解説に参加した舟越保武ですが、

みんなこの「ダミアン神父」だけは外しません。

自らも癩病に感染し、それまでは「あなた方は」と説いていた神父が、

「私たちは」と語るようになった、というエピソードに、舟越さんがこの像をつくるときの気持ちの変化にも重なる気がしました。この像の顔と手が金色になっていて、変形した顔や手であっても、その魂は崇高であり、尊いものなのだと私たちは仰ぎ見ることになります。


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この「聖人ベロニカ」は舟越さんが病により、半身不随になる前の、未完成作品。「聖ベロニカ」。




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そして「聖ベロニカ」と対峙するかのように、壁の反対側にこの「ゴルゴダ」が配されています。

舟越さんが不自由な体でつくった、ゴルゴダの丘で処刑されたイエスです。

不自由な体で制作されたもので、左右対称ではないし、荒いタッチのようですが、そこにイエスと舟越さんの苦しみながらも自分の道を全うしようとする姿が重なって見え、この像の前で足を止めている人は多いです。

そしてこの「ゴルゴダ」できょうのコレクショントークは終わったのですが、気がついたら参加者がずいぶんふえていたのでした。