現在、上野の東京都美術館で開催中の「バルテュス展」には
もう一回行こうと思っているのですが、
それに先立って、実家からバルテュスの画集を持ってきました。
持ってきたって、私のものなんだけど。
関連して思い出したのは、学生時代、実家の父の
書棚から持ってきたんだ、と、三浦哲郎の文庫本を読んでいた友達のことで、
いいなあ!といろんな意味で羨ましかった。
父が読書家で、書棚を持っている、それを持ってきて読む娘、
すべてが眩しかったなー。
私の場合、実家から持ってきた、というのはすべて、
昔自分が買ったものを持ってきた、だけなのでつまらないっちゃあつまらない。
でもまあ、考えようで、お金を本とマンガに費やしてくれてありがとう、
過去の自分、とは思う。
この画集は、1994年出版で、1993年に観た、東京ステーションギャラリーの「バルテュス展」
と重なるところもあるのですが、
私が見た「猫と鏡 Ⅲ」は未完成というか、まだ手を入れられている
最中の絵だったので、この画集に入っている絵とは足元などがちがいます。
こちらの裸婦像は澁澤龍彦の「裸婦の中の裸婦」で見ていたのですが、
澁澤龍彦や金井美恵子のエッセイの中で語られていた画家の、
ほんものの絵をこんなにたっぷり、しかも静かで自然光の入ってくる、
東京ステーションギャラリーで見ることができて、
なんてしあわせなんだろう、
と高いところに開けられた窓から入ってくる光の条を見上げながら、
ぼーっとしたことをよく覚えています。
ほんとうに今考えると信じられないことですが、人気はなくて、
絵と私の間にあるのは午後の穏やかな光だけ、みたいだったのでした。
(私は販売員だったので、平日にきたせいもありますが)
「キャシーの化粧」、今回も来ていましたね。
そして今回うれしかったのは、「嵐が丘」の版画挿絵が展示rされていたことです。
こういう画集を買い集めていたところを見ると、当時から絵には関心があったんだなーと
思いますが、
たぶん、いまより欲がなかったので、バルテュスの展覧会をひとつみたら、
大人しくまたJR東北本線でとことこ家まで戻ったと思われます。
あのころの時間の使い方こそ、貴族的だったと思われます。
東京ステーションギャラリーのあの自然光の下でみるバルテュスと
東北本線のゆったりとした運行速度、みんな噛みあっていた気がします。