![絵心ある?](https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif)
私はない派
昔から絵を描くのも見るのもすきでした。
見るのは、30歳くらいまでは図録オンリーでしたね。だって美術館というものがこの世にあって、ほんものを見に行くことができるというのがわからなかった。
そんなバカな!
と思う人はいろいろ恵まれているんですよ。
関連して思い出したのが、販売員時代、昼休みは買ってきたマンガ雑誌か自分の本または図書館の本を読んでいたんですが、
(販売員は交代制でお昼を食べるので、本を読みつつごはんがしあわせな私にはむしろラッキーだった)
当時50代くらいの店長がほんとうに不思議そうな顔で、
図書館から本を借りるのは一回いくらなんだ?と聞いてきたんです。
ほかのことでは当たり前の商品知識もあるし、販売店の店長なので社交性も常識もあるはずですが、
図書館も行ったことがないひとにはそんな認識なんですよね。なんでも自分がわかっていることがすべての人の常識だと思わないようにしようと思いました。
だから私も、絵は図録でみるものだとしか思ってなかったんです。美術館が近くにあるようなまちでもなかったですしね。
それがいまではインターネットもあるので、美術館情報もお手軽に入り、じもとには美術館がたくさんあり(行っていないところがけっこうある)、この2、3年はいままでの鬱憤をはらすかのように、年100回は美術館に足を運んでいるのでは…まあ地元の美術館にしょっちゅう行っているのもあるんだけど。
そんな私ですが、
絵心ある?
と聞かれたら全然!というしかないのが自分でも可哀想(笑)。
私は元々が本がすきで、司書になるべく短大もそういうコースのあるところにしたわけですが、親からして、
お姉ちゃん、司書って難しい試験みたいだけど大丈夫なの?と、司法書士と勘違いして言うような親で。アンタの子がそんな試験を受けようと
なんて思うわけないでしょ!と。
勉強嫌いなので中卒なんですが(経済的に進学できないというケースではなかったらしい)、中学では美術部で油絵や水彩画をよく描いていたもよう。が、中学ではキリンとあだ名されるくらい、目が大きく首が長い奇形的な美少女だった母ですが、
遺伝性の眼瞼下垂に見舞われ、私は目が細く、目をつかう趣味は一切もたない母親しか知らない。
で、父は大工ですが、こちらはさらにひどい勉強嫌いで、やっぱり経済的には高校に行けたらしいのですが、中卒で大工の修業のために職業訓校に入ろうとしたらしい。
が、勉強が出来ない父はほぼ1倍の倍率のここを落ちてしまい、親のすすめで近くの高校に半年通い、秋にまた受験して今度は無事合格。
勉強はできないけど、父は絵心があったと思うんですよ。字を書いたり本を読んだりすることはまずないですが、橋を見るのがすきで、日本全国新しい橋が架けられたら、
愛車のパジェロで橋を渡りに走ってました。橋をつくる大工になりたかったとか、そういうことじゃなくて、見るのがすきなんです。
もちろん手先は器用であれこれ作ってくれましたよ。本人は自覚していないけれど、絵心があるひとだったんだろうなあと。
で、私ですが、
絵を見たり、工芸品を見たりしてよろこんではいますが、
絵心ないんじゃないかなあ!
小学校時代の水彩画では、大胆にも色だけで雲と雲の写った水たまりを表現しようとして、
画用紙をびしょびしょにして、波打つ画用紙を提出したり、
中学の美術では物凄く先生に贔屓されている親友とともに放課後も残業して絵を描いていたのですが、
うーん、な感じ。
たぶん、絵を見るのにしてもセンスがない気がする。
学生時代、図書館研究部(もちろん司書になるために入ったのだ。公務員試験の面接で学生時代図書館研究会でした、といえば、評価が上がるに決まってる、と思って。私はダメ人間だが、目的があればどんな汚い手を使っても目的成就するまで諦めない人間だ)だったんですが、
絵本制作をすることになり、もちろんみんな本が好きだから集まったやつばかりなんですが、
本がすきであると同時に、どうしたことか、絵も上手いやつばっかりだったのだ。
がーーーーん。
仕方ないので、一年生の時はコラージュで自分作の文章の絵本をつくり、
二年生のときも絵の下手さをごまかすべく、オリジナル絵本。文章については、そこまで劣等感をもったことはないのだ。作文で褒められなくても、自分では自分の文章は悪いとは思わない。
でも自分の描いた絵は、もうどうしよもないなーって感じ。
好きこそ物の上手なれ、と言っても、主観的に見ても、私には絵心がないです(笑)。
でも、
絵心がなくても絵を楽しむことはできる、
ってことで!
ではでは。