画家の享年が気になるのは、夭逝の年齢をとうに越した50歳になったからかもしれません。
昔は、夭逝したひとには悪いですが、たとえば、
三島由紀夫の享年45歳にしても、
どうせなら30歳前にやればよかったのに。
45歳じゃ、夭逝じゃないじゃ、
と思っていました。私は1963年生まれなので、
三島由紀夫の自決のニュースなどはあとでテレビの昭和の歴史特集などで
見たくらいで、当時どれだけの衝撃だったのか肌で実感しておらんのです。
中学生の頃好きで読みつくした筒井康隆のエッセイに、30歳までに作家として身を立てられなかったら
自殺してやると思っていた、という文章があって、そちらはわかる気がしました。
自殺するなら20代までよねー♪
という中学生らしいノー天気さで。
しかし、三島由紀夫の年齢も超えたし、
太宰治の享年(39歳)も超えたし、
そうなると、これがみな夭逝だと腑に落ちるのですね。
私は昔から太宰治びいきで三島由紀夫も全集を読んだくらいだからきらいではなかったと思うんですが、
どっちが小説としておもしろい?と言ったら太宰につきる、という趣味です。
高校生になって両者の全集を読んで思ったのは、
そんな、三島由紀夫が太宰治を嫌ってなんだかんだ言ったって、
享年が30代と40代じゃ「かっこつけ」度の高いのは30代よねー♪
でした。ほんとうに本がすきで、お昼休みはあんぱん1個かナシでお小遣いのすべてを
文庫本に費やしていたくらいなのですが、それでもこんな感じ(笑)。
その後、三島が太宰を訪ねて行って、ぼくはあなたの書くものが嫌いです、と
昂然と言ってのけた、というエピソードもじつは、
そんなにきっぱりと嫌いです、と言ったわけではないうえに、
太宰に、
「そんなら来なきゃいいじゃねぇか」
と吐き捨てられ、しょんとなった、というグダグダなものだった、
というのを何かで読んで大いに喜んだ私です。太宰らしい、三島らしいエピソードだと思うのですが。
衰えを感じることというのは、
夭逝の年齢が50代になっている年譜や評伝を目にしてもいまでは、
50代を夭逝、ありだよ~
と感じてしまう自分ですね。
ちなみに50代で夭逝というのは、澁澤龍彦のことでして、
享年59歳について、前夫人の矢川澄子が夭逝と書いているのを読んだ時に、
お前、それはないだろう~
と志村けんになってのけぞった私でした。
いまは59歳での死はもちろん夭逝だと思う。
あー、そのうち60代の死も夭逝だと思うようになるのかしら。
ではでは。