先日のギャラリートークでは、植田正治のお孫さんの寛さんが
写真の背景や、どうやって撮ったかをお話しくださいまして、
それが頭からしっぽまであんこの入ったたい焼きのようにおいしかったです。
この竹の子の写真ですが、実物はもっと背景がくっきりした黒なんです。
私が撮るとなんでもこうなる…トリミングしたかったわけじゃないですが、
どの画像もサイズの問題などでトリミングになっていたりします。ご容赦ください。
(というのも植田正治はプリントもトリミングもすべて自分でやったひとなので、
天国の植田さんをちょっと慮ったのでした)
さて、この竹の子ですが、深い意味があるのかと思いきや、
到来物については、写真を撮って、その写真で感謝を伝える、
というのが植田正治の返礼だったそうです。
で、この竹の子を見たらやっぱり、
どーしても思い出すよねえ。私がいままででいちばん大きくて新鮮だったと
思う竹の子は熊本産で、梅はもちろん、南紀の紀州梅。
話が横にそれましたが、
植田正治はそんなふうに律儀に写真を撮っていたので、
バレンタインデーの時なんか大変だったとか。
これは砂丘で撮影したものかな?
と、植田寛さんのギャラリートークをお聞きするまではぼんやりそう思っていたのですが、
砂はあっていたんだけどね…。
映っている人物、全部黒い紙を切り抜いてつくったもので、これは砂の入った箱庭に
その紙人形を刺して撮ったものだそうです。
さすがに植田正治が全部切り抜いたわけではなく、助手の方が切ったそうですが、
それにしても幻想的な砂丘風景、というふうにしか見えない。
その手があったか!と目からウロコでした。
22歳で結婚して、ずっと仲睦まじかった奥さま、紀枝さんの死にショックを受けて、
しばらくカメラを持てなかった植田正治に、次男の満さんがファッション界への
橋渡しというかプロデュースを買って出ます。
というわけでこちらは「砂丘モード」の一枚ですが、
顔に当時流行っていた黒いパックをしているのもヘンだが、
身体がビミョーに傾いているし、帽子が空を飛んでる?
荒木経惟も図録の解説で、いったいどうやって撮ったか、教えてほしかった、
と語っていたので、矜持あるアマチュアカメラマンだった植田正治の撮り方が、
プロのはずの荒木経惟がどうやって撮ったんだろう?と思うというのがおかしかった。
寛さんによると、帽子は釣竿で吊っているそうです。
体はまっすぐで、ほんとうは砂丘が斜めになっていたので、それを真っ直ぐで
あるかのように傾けて撮影したと。
帽子が間のいいタイミングで風にゆられた瞬間のものだそうです。
(質問で、でも、傾いた体にピッタリの位置に帽子がありますよね?と
不思議がっていた人がいて、風で、という回答に、あー、だった)
ルネ・マグリットもすきだった植田正治ですが、画家ではなく、写真家なので、
これはというと、一つの写真をサイズを変えたり、向きを変えたりして何枚もつくって、
それをレイアウトして、空は合成したという作品。
なにがあった!と言いたくなるような赤い不吉な空と、増殖という言葉を
連想してしまう人の群れ。すごい。この発想が。
この目玉の写真はどうやって撮ったんだろう、と私はすごく不思議だった。
こんな交通量の多いところで、こんなものを置いて、ビルから撮ったの?
まさかのヘリ?
と思っていたら、目玉は、
突き刺した。
そう、スクランブル交差点の写真に、義眼を突き刺して撮ったんです。
まさかそんな手があろうとは…意表を突かれまくりです。
どうみてもエロい。いいんです、エロいと思って。
お孫さんも佐野史郎も、植田正治はスケベなひとだと認定していましたよ。
ジョージア・オキーフを連想したんだけど、いま見比べたけど、植田正治の方が、
ど真ん中でエロいと思う(褒めてる)。
花にグッと寄って撮った写真。
人物の写真ではある程度の距離があって、ドアップとかないのに、
花にはこんなに寄ってしまう、不思議。
島根県立美術館で見た時は、バタ臭い(実際植田正治はハイカラ好きで洋食がすきだった)
垢抜けたセンスの写真だなあ、というさっとした印象だったのですが、
見れば見るほど、知れば知るほど、その世界にひきつけられていきます。