「冒険者たちよ」


舞台上手には、縁側と雨戸のある平屋のセットが、


下手にはグレーの四角柱が5つ林立しています。

舞台が開演するまえに、代表の遠藤雄史さんが舞台挨拶で、トラブルカフェシアター旗揚げから15年というお話や、「冒険者たちよ」にちなんで、日常の冒険について語り会場を和ませた後、

「もりげき王に俺はなる!」

と拳をつきあげてドッと沸かせて退場。

しかし、舞台は照明を落とさないまま、まるで日常と地続きのような温度ではじまります。

はじめに現れたのは赤いマントの男。

十字マークのついた黒い棺を必死の形相で引っ張ってくるのですが、

ドラキュラが自分の入る棺桶を引っ張ってきたか?という連想が…。

足元はローマ風のサンダルで、中世の旅人のようないでたちです。

ところが男はまたひとつ、また一つと棺桶を引っ張ってくるじゃないですか。何があった!と思ったところで暗転。

次の瞬間、

上手には現代のTシャツに半パンの若者がスポットライトに磔にされたように突っ立ち、

「ある日、突然、父が逝ってしまった!

ある日、突然、実家の寺をついでしまった!」

と叫び、

下手のあのグレーの四角柱群には人気コミック「ONE PIECE」の麦わら帽子に赤い上着、青いズボンに腰には黄色いサッシュベルトの男が立ち、

先ほどの赤いマントの男に死者を蘇らせてくれと迫られて困惑している青年がなにかリアクションするたびに、

「コマンド1」と機械的に発し、コマンド1は青年に頼み込むことらしいのです。

これはスラップスティックなのかな?と思っていると、

やがて棺桶から鮮やかな中世コスチュームを身につけた男女が蘇り、さらにあの世からの援軍でしょうか、

きらびやかでどことなく真夜中のパーティのような一団が楽しげに踊り、青年は混乱のきわみに…。

やがて青年と縁側の日常の場面にもどり、彼は父の急逝によって実家に帰り、跡を継ぐことになったばかりということがわかってきます。

じゃあ、あの奇妙な一団はいったい…。

赤マントの男はじつは劇団のリーダーでした。小さな劇団のメンバーは、

リーダー安原、大道具細川、作・演出大野、制作木田の4人で、次第に明らかになったのは、

彼らはみんな死んでいるということ。

なぜか、赤マントの男が現れて以来、死者が見えるようになった青年・直道は麦わら帽の父をはじめとして、

次から次へと現れる死者と生者の橋わたしのような存在でもあります。

まだお坊さんの修業もしていないし、始終現れては息子に絡む父には、

音楽がダメだったから実家を継ごうという甘い考えを見抜かれています。直道自身は自覚がなくても、音楽に未練があり、跡継ぎにも及び腰で、頼りない表情と立ち姿です。

演劇集団ケサランパサランは、地方公演の旅の途中、大野の運転する車が突っ込んできた対向車に衝突、全員が事故死したのでした。


でも、最後に自分たちの芝居を見てほしい、と直道に頼み込み、

魔王と戦うために仲間を三人探す旅に出た王子、その両親である王と妃の芝居の稽古がはじまります…。

その稽古のあいだにも、直道の幼馴染の可愛いがっていたわんこポチや、孫のお嫁さんを可愛いがっていたおばあさんや、

死者たちと生者が現れては直道に互いの思いを伝えてほしいと頼み込みます。

ケサランパサランが芝居の力を発揮し、直道は次第に自分の住職としての力に自信をつけたようなのですが…。


死者に対して生者ができることはなにか、

仲間を信じることとはなにか、

生きている自分が進むべき道は…。


コメディの向こうに見えてきたのは、やはり、大震災のあとの自分たちはどう生きるかという問いかけでした。

突然の事故によって命をうばわれた役者たち。しかし、残酷なことにリーダーの安原だけが昏睡のまま、生きていたのです。

自分だけが生き残ってしまった罪悪感に苦しむ安原と、そんな彼の苦衷を察しながら、最後に演劇の力で墓に突き刺さって抜けなかった剣を渾身の力で抜こうとする4人。

墓に刺さった剣は、震災のあと生きている私たちの心に刺さった棘のようにも思えました。いつも亡くなった方への罪悪感があります。

そのケサランパサランの最後の舞台を見届けたあと、直道は自身の道を、名前の通りに真っ直ぐ歩んでいくことを決め、

お坊さんとしての修業に旅立ちます。

震災と必ずしも結びつけなくてもいいのかもしれませんが、

もりげき王で遠藤さんが見せてくれたお芝居を重ねあわせると、そうではない、と考える方が不自然な気がします。

そうだ、

だって、不和の父娘のために走り続ける直道の姿は、


あの「震災タクシー」でずっと走り続けていた金髪のメロスの姿に重なったのですから。

生と死、演劇と現実、父と子、夢と仕事、様々な対比がありましたが、そのどちらにも足をかけながら冒険者になることもできないことではないでしょう。

「もりげき王に俺はなる!」

という冒険を私たちは楽しみにまっています。