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「庭園日本一 足立美術館をつくった男」

足立全康 (日本経済新聞社)


米国の庭園専門誌で11年連続日本一!(2003~2013)


という

帯のコピーにただならぬものを感じて、キャリーケースを持ってきていることだし、と購入した本です。


で、息子が寝ている(一度起きた時はやたらハッスルしていたのですが、また眠くなったらく、すうすう眠っております)ので、


そばに紅茶ポットとポットを持ち込んで、まあ私も疲れているので、


きょうはみっちり本を読もうと。


足立美術館のことは、数年前から知ってはいたのですが、そのの本美術コレクションと美しい庭園を作り上げた男のことは知らなかった。無意識に高い教養と美意識を生まれながらに持っていた、そんなひとが作ったのだろうと思っていたようです。


明治32年(1899年)2月8日、安来節で有名な安来の小作農に生まれ、


自分の誕生日を知ったのは入営の時という。



4人きょうだいのただ一人の男の子だったけれど、姉妹はみんな優秀中でただひとり「頭が悪く」、


しかも水木しげる先生だとガキ大将で劣等感はあまりなく、全校集会で妙なる調べの屁を鳴らすのが楽しみ、

で毎日遅刻はするものの、堂々としている感じ。

足立全康翁はそうじゃなかった。

頭が悪い(ご本人の言葉です。ちなみに本書は90歳の翁の口述筆記です)だけではなく、気が弱くいじめられっこで、学校に行くのが嫌で嫌で、親にひっぱがされるようにして学校へ行く尋常小学校時代だった。

あまりに劣等生だったので、落第の話もでたくらいだが、こんなにおとなしい子を頭が悪いからといって落第させるのは可哀想だという慈悲によって卒業できたくらいだ、

と。

小学校を卒業してからの翁は、商才を発揮し、損をすることもあるけれど、自らいうところのひらめき人生を驀進し、木炭の小売から始まり、繊維、不動産と次々に商売をかえつつ、財産を築いたのである。


なんと十五歳で大人たちを雇って商売をするくらいの腕だった。小学校時代の劣等生ってなんだったんだろう。

むしろ天才すぎて周りには測れなかったのか。

「ブラック・ジャック」の中に、貧しい家に生まれた兄弟がいて、兄は弟にだけは大学を出させてやりたいと働いて働いて、裏愚痴入学で医大にねじ込むが弟はあまりに勉強が辛く、書き置きを残して行方不明に

しかしそれから3、40年後、病気で苦しむ兄の前に現れた弟は大会社の社長となっていた。

学校の勉強はできなかったが、商才はずば抜けていたのだった。

おっとりした風貌は変わらない弟はお兄さんの期待に自分は応えられなかったが、自分の息子が医大で学び、きょうはブラック・ジャック先生の助手をします、と伝え、

ブラック・ジャックはいや、自分が助手で執刀医は君だ、と、弟の息子にメスをわたす…。細部は違うと思うけれど、この物語を重ね合わせてしまう。

我慢と辛抱の子供時代を、「男おしん」だ、という足立全康翁だが、おしんも商才がありましたよね。まさしくおしんだなーと思う。

ユーモアがあって、人間としての度量があるから、成功したひとの自伝なのに、若々しい。まだまだこれから、というような瑞々しさがあるんですね。

紹介したいエピソードのてんこもりですが、

あの山種美術館と竹内栖鳳の「斑猫」を巡って負けて悔しい思いをしたところなんか、マンガか映画にしたいくらいである。

密かにライバルと思っていた山種美術館に狙っていた逸品を取られた(いや業者が山種美術館に売却しただけだが)足立翁は、

猛然と「斑猫」を図版を見ながら模写しはじめ、それに没頭することでくやしさを忘れようとしたのだった。

劣等感の子供時代、唯一褒められたのが図画で、71歳にして60年ぶりちかくで筆を取ったわけだが、

この時から絵の模写にはまり、やがて自分で描いたナスビの絵の色紙をチャリティーを目的として美術館のロビーで売り始める。

一千万円になったところで社会福祉基金として山陰中央新報社に寄付。

一日20枚ペースで描いた計算になるなあ。

この足立美術館は年中無休ですが、それも足立翁の、遠くから来てくださったお客様ががっかりなさってはいけない、という思いであって、

どこまでも徹底していい意味で商売人だなあと。

絵を買うときは、三日預かって絵を壁にかけて眺め、それで嫌になったら買わない、見飽きることがなかったら買う、と。

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本書の巻末にうつくしい庭園の四季と、逸品ぞろいのコレクションも載せられており、

大満足の一冊であります。

こんなことを言ってはなんだけれど、小学校時代勉強が苦手だったり、運動神経も悪い、思い込んだら命がけ、ひらめき人生、

村ではじめての上等兵を目指してひたすらゴマスリに徹した兵役時代、

それなのになせか上官の髭がダルマに似ていると思ったら笑いが止まらず、殴られ平手打ちにされて、顔の形が変わったくらい、

という数々のエピソードは、

なにか息子似ている(笑)。息子もヒコーキの中で何度私に肘鉄をくらっても、笑いを止められなかったもんなあ。

偉大な足立翁と息子を一緒にしてはなんだが、こういう人生だってあり得るのだと思うと、やはり勇気がでますなあ。

「ワシの人生は女と絵と庭じゃ!」

潔く大きく面白い、ふたつとない素晴らしい人生を生きたひとが、

あの足立美術館を自らの手で作ったんだと思うと、また訪れたいと思わずにいられません。