私が見たのは後期にあたります。
この「信濃の山路(下絵)」は印象派風の点描もろだしの作風で、
この一点だけでしたが、寒山というと、「小倉山」の完成度の高い狩野派風の、と勝手に思っていたので、
今回の展覧会に足を運んでよかったです。
こちらの絵は、ミレイの模写です。
寒山は西洋絵画の模写も留学経験もある、意外にバタ臭い経歴の持ち主だったことも今回判明。
いちばんいい!と思った絵は図録では金が金が淡いクリーム色になってしまい、そのスケールも縮小されてしまったので、
こんなんじゃないの!と思ったり。
まあその通りに再現はできない、息を飲む絵なのですよ。
こちらの絵も息を呑みましたね。
え!!
まさかのモナリザですよ。しかし魚藍観音…。
昭和3年の発表当時賛否両論巻き起こりとありましたが、すげぇなあ。
明治6年生まれの寒山、55歳。枯れてません、俺の絵はこれからだ。
モナリザの絵は留学帰りに巡った際に模写したのだそうです。岡倉天心もそうですし、黒田清輝も横山大観も、留学先でノイローゼになんかなりそうもない、骨太というか…。
余談ですが、Bunkamuraザ・ミュージアムの「シャヴァンヌ展」で驚いたのがフランス留学中の黒田清輝がシャヴァンヌを訪ね、教えをうけていることでした。
だいたい法律を学ぶためにフランスに留学するだけでもすごいのに、自ら動くその積極性、物怖じしない逞しさ。
江戸の人も凄いが明治人もすげえなあ。
ラファエロの「椅子の聖母」で、比べてみると表情、目の辺りなどは観山風になっているのですね。
これは緻密さと大胆な構図が田中一村風。
女友達同士で来たらしいひとが、田中一村みたいだと思ったわ、と言っていて同意でした。
この絵も、私がこんな絵を描く画家だ、と勝手に思っていた観山とはちがうので、そこがいいなと。
東京美術学校のカリキュラムに解剖学や裸婦デッサンを持ち込んだのは黒田清輝ですが、
でも、北斎や暁斎の絵にはふんだんに骸骨が出てきますしね。骸骨が花を活けたり茶の湯をしたり。
日本に限らなくても、アンソールもデルヴォーも骸骨、すきみたいだしなあ。
観山は「小倉山」的な画家、と決めつけながらも、でも見に来たんです。
自分の狭い、固い、愚かさや偏りがまた打ち砕かれて小気味いい。
美術展に限らないですが、自分の思っていたより世界は広く豊かで、瑞々しいと思えることがあれば、私は笑っていられると思う。