まだ眠っている。

私はこの季節の思いがけない過発酵の山食を焼きながら寝室でブログを書いているわけです。

冬になると家を細かく間仕切りしたくなる。6畳の寝室はすぐ暖かくなるんだけど、ほかは凍えるんですもん。

まあそれは私がばあさんになったせいであって、活きのいいピチピチした子どもは同じ環境でも風邪一つひかない。


で、息子の指ですよ。


私の手と指の長さだけ比べたらもう抜いている。なんた。

(ジェジェに対応すると思われる私の生まれたところの方言。なんとしたことだろうの意味)

私の手もたいがいだが、元の夫の手は指もてのひらもずんぐりしており、

どちらにも似ていない手なのである。

従姉妹のお姉ちゃんがきれいなふっくらとした手をしてピアノを習っていたが、

そのお姉ちゃんは全然血のつながりのない彼女のパパ似だったわけで、

この女性的なきれいな手はどこから降ってきたのでしょう。
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まあ息子は自分の容姿に全然自信がなく、
ブスで残念な顔と思っているらしく、

それはそれでいい。


ただ手は私が日々褒めているので、自分の手はきれいなのかなと思っているようである。外見でも内面でも、


一点いいところがあると信じていればそれでいいのだ。

そしてその自信を与えてやるのは身近な大人の仕事なのだと思う。いきなり自信満々にはなれないもんねえ。

私の子どもの頃の自信は背が高いことだった。少なくとも小2までは男女あわせても相当(文字通り)抜きん出ていたのである。

でもまあこんなのはすぐに凋落がくるもので、つぎは計算問題だけは速いということ。これは保育園からの強烈な不眠症で寝つきが悪かったので、

毎晩1から2000、ひどい時は3000くらいまで数をかぞえていたんです。

百ごとに指を折って、三往復目で眠っていた。昔の親はこわかったので、寝ろと言われたら眠れなくてもじっと布団にいなくてはならない。息子のように眠くないからといって気ままに起きて遊んでいるなんてもってのほかである。

その長年の孤独な夜が小5あたりの算数から一気に払い戻しがはじまった、という感じ。中3までほんとうに単純に計算力だけですべてを解いていました。間違っていても検算も早いのでなんとか正解を探せる…数学力はあまりなかったなあ…単純計算は重要な能力だ。数唱だけで相当な効果があるです。

息子の手のきれいさは一生ものだと思うので大事にしてもらいたい。

私の弟は小6までは目立って可愛い顔立ちだったのだが、思春期のニキビで壊滅状態に追いやられ、凸凹を残した皮膚でもまあ時任三郎と森田健作(つまり眉が濃くて長い)ミックスくらいに回復したのだが、

眼瞼下垂に見舞われ、美醜の問題ではなく、医療の問題になったのだが、手術をうけて年齢よりむしろ若い顔立ちに戻った。


顔は一生ものにはならないという身近な例である。

そしてそんな紆余曲折を経てもあまり性格が変わらない鈍感さが弟の最大の美点だといま気づいた。

小学時代担任の女性教師にいつも贔屓されていたときも、眼瞼下垂で仕事にもいろいろ差しさわりがあったときも、2年の無職時代も(職業訓練を受けてはいた)、

それでいい気になったり、凹んだり、家族に当たったり、暗くなったりしない。その自信はどこからと言いたいくらいいつもへーぜんとしている。

私はそれをずっと、子どもの頃の美少年で成績もよく親からも先生からも贔屓されていた記憶のせいだとひがんでいたが、

(ひがまなくなったのは30代になってからで、それまでは弟の順風満帆すぎ人生をいつも妬んでいた気がする)


このひと、天然で感情の高下がないんじゃ?

といま気づいた。


真に羨ましいのはむしろそちらである。


息子は私に似て感情が安定しているとは言い難いが、

そしてこの話の着地に失敗した気がうすうすしているのだが、

パンが焼けたのでブログ終了です。

ではでは☆