舞台は思い思いのおしゃれをした縫製工の女性たちと、
工場の男性たち、社長によるダンスと歌からはじまる。
彼女たちのファッションも、ありきたりの既製服ではなく、
きっとみんなすきな布で自分の服も作っているんだろうな、
と思わせるような個性的なものばかりで。
と、そこへ地震。
つづいて津波がきて、工場は泥水をかぶる。
このあたりは舞台だとわかっていても、もう震災から1000日を越えたといっても、
胸騒ぎがした。津波の被害に遭っていない内陸のものだというのに、
かえっていまになって胸がしめつけられるようだ。
津波のあと、工場の再生を信じて率先してミシンの洗浄と分解修理をはじめた社長。
縫製工たちもその姿に、工場再生のために協力しようという一体感がでてきた。
一方、工場という大きな物語と並行して語られる、
ひとりの縫製工の、ある被災した一家の物語。
彼女は縫製工の中でもムードメーカー的な存在だ。若い子たちと年配の縫製工たちの
橋渡し的な存在でもある。家庭にあっては明るくたくましい、いいお母さんだ。
彼女には長距離トラックの夫と、オシャレで彼氏にぞっこんの娘がいる。
震災と津波のあとで、夫も失業し、お酒が過ぎるようになり、互いの言葉にピリピリするような
場面も。
とはいえ、妻の明るさに励まされて、また自分の仕事をみつけて動きはじめるのですが。
夫の帰りが遅い時に、娘と妻が、どうせまたパチンコじゃない?と思ったり、
縫製工のひとりの女性がパチンコにのめり込んだりする場面では、
沿岸で震災後、仕事も失い、仮設の狭い居住スペースで余裕を失くした
夫からのDV被害が増えた、という記事を思い出しました。
幸い、この一家は持ち前の明るさですぐに仲直りするのですが。
社長には岐阜の大きな縫製工場で働く弟がおり、
弟は自分の師匠であるひとに頼み込んで、
工場の縫製工たちのスキルアップを頼みます。
日本で売られている服の95%は賃金の安いアジア製だ、
のこり5%に食い込むためには技術がいる、ということで、
みんな一生懸命に技術を磨きます。
しかし、その陰で社長はひとり懊悩していたのでした。
それは、
仕事がまったく取れないということ。
大震災、大津波に襲われた直後の前半はむしろ明るく、パワフルで楽しい舞台だったのですが、
後半、震災から少したって状況が落ち着くにつれて、生活の重さや仕事がないという現実がミシン工場の
人々を追い詰めます。
特に工場全体を背負っている社長は仕事が取れないことに、責任を感じて頭をかかえています。
ここで流れるのが、
「復興予算にゃ羽根がある」
コミカルなダンスと諷刺たっぷりの歌に思わず笑ってしまうのですが、
復興支援予算で被災地と関係のないところにお金をばらまき、
ここは荒れたままか、という腹の底からの怒りを強烈な諷刺に変えて歌われる
「復興予算にゃ羽根がある」、なんで沖縄が復興予算でよ?とか、
なんで岐阜のコンタクトレンズ工場に予算がいくわけ?(被災地のひとも
コンタクトをするから…その答え答えになってないし!)とか、
私が無知で知らなかっただけなのか、いったいそんなことに復興予算が使われていたわけ?
それでいいの?というオンパレードでした。
岩手の復興予算は漁業、製造工場がメインで、ミシン工場には予算がつかない。
追いつめられる社長に救いの手が…
それは縫製工たちのスキルアップにきてくれていた先生からの
仕事の斡旋という、プレゼントだった。縫製工の彼女たちのがんばりに、
高い技術を要される仕事をもってきてくれたのだった。
最後は縫製工たちのファッションショー。
これがまた一着一着、デザイン学校の卒業式のようなファッションショーで、
縫製工の女性たちがみな、キラキラと輝いていた。
幕間に隣の席の女性たちと話をしたところ、
あんまり宣伝もしていなかったけれど、チケットを
譲られてきて、ほんとうによかった、
歌も上手だし、音楽もいいわね、
と話が弾んだのだった。
生のトロンボーン、ドラムス、キーボードが
右手にあって、その生の音もまたすばらしかった。
舞台が終わったときの挨拶もすばらしかったけれど、
ホールからトロンボーンが響いてくるな、と思ったら、
音楽で見送ってくれていたんでした。
感激したなあ。
そのあと、一階に降りる階段の両脇にキャストが
待っていてくれて、熱い握手をしてくれるお見送りが
あったりして、
舞台も熱かったけれど、お見送りまで心をこめて
くれているのが伝わって、うれしさも感動も2倍でした。
外は雨が降っていましたが、来る前に感じていた
微熱はどこかへ消えたようでした。