私は現在 派!
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そりゃあ、やっぱり、
いまでしょ!
うちにはテレビがなくて、「いまでしょ!」が流行っているのを知ったのは、
2月の東京マラソンの時。
応援フラッグに、
「いつ走るか?いまでしょ!」
が2,3回はあった(笑)。それでああ、そういう言葉が流行ってるんだな、と思ったんだけど、
実際にその偉大なる流行語大賞を取った先生を見たのは3月頃でした。
またべつのマラソン大会に出るために遠征していた旅先にて。
まあ、話がずれちゃってるみたいだけど、「いまでしょ!」という言葉はハッとするよね。
いまでしょ!はやる気を出させると同時に、いまの一瞬が掛け替えのないものだ、
ということを思い出させてくれる。
子どもの頃はよく、過去と未来のことを考えていた気がするなあ。
もっとお父さんとお母さんが理解があって、お金持ちのおうちで(お金持ちのレベルは「ひみつのアッコちゃん」くらい)、そんなうちに生まれてこればよかった、とか、
小学校で勉強につまづいていたので、保育園からやり直したいとは始終思っていた。
保育園の時はむしろできる子だったんです。
ワークブックとかあっという間に1冊終わったりして。
鉄棒もすごく得意で、大車輪とかヒコーキとか、恐れることなくチャレンジしていたし、
棒のぼりが得意で、雨の日はさかんにやっていた。
それが小学校に入った途端、運動はできない、授業は分からない、友達はできない、
先生には嫌われる、内々尽くしで、あー、保育園からやり直したいと何度思ったことか。
大人が思うほど子どもの人生、楽じゃないのよ。
私はその頃の方が大人になってからよりつらかったと思う。
だって子どもって世の中が全然見えていないから、小学校で
これだったら大人になったら暗黒では、と怯えちゃうのだった。
戻りたい、やり直したい病は中学に入って収まり、
今度は未来ばっかりみて過ごすことになったです。
未来の自分はこうで、こうでこう、みたいな(笑)。
てかいまの自分をなんとかしろよ。
んー、中学から30歳くらいまで長い間、いまを見るのがしんどくて、
薔薇色の未来ばっかり妄想していた気がする。
そんなときにいまでしょ!と言われても頷けなかったと思うけど、
過去も未来も、ここにある現実じゃないじゃん。
過去はすぎた昔を脚色しがちだし、戻れる場所じゃないし、
未来を夢見るまえに、未来につながるいまをしっかり生きなきゃ、
未来に辿りつけないじゃん(笑)!
私が過去と未来ばっかり見ている間に無
駄にした時間ってどのくらいだったのかなあ。
なんて、そんなことも考えるだけ無駄!
考えるべきなのはいま、ここにいること。
いま目の前にいてくれる人。
いまの友達。
そしてなにより、
いまの自分。
なんじゃないかなあ?