岩手県立美術館、第三期常設展で特別展示されている橋本八百二についての

学芸員講座のあと、


うちに帰って復習、でもないのですが、常設展示のためのパンフレット(常設展示の

受付案内の方に声をかければ無料でもらえます)を読んでいたら、


いろいろ発見がありまして。






パンフレットの小さな画像からで見づらいかと思いますが、


橋本八百二は藤田嗣治とも交流があり、


(橋本八百二は1903年生まれ、藤田嗣治は1886年生まれ)


ともに戦地に赴き、戦争画を描いています。


藤田嗣治は戦後、戦争画を描いたことにより戦犯扱いされていますが、

八百二はまったく批判をうけなかったもよう。



魔女菅原のブログ


藤田嗣治の「アッツ島玉砕」は今年の1月、「美術にぶるっ!」(東京国立近代美術館)で

見ました。


この折り重なる兵隊、どちらが敵か味方か一目みただけでは

分からないようなありさまは、


私はもち文化で育ったので、


(納豆もちみたい)


と連想しました。納豆もちの絡み合ってなにがなんだかわからない状態…。


八百二の戦争画がこの絵に似ているような気がして、

戦争画はこういうふうに描くという風潮があったのかな?


と思って聞くは一時の恥の信念でうかがってみたところ、

それは特にないようだった。


手をあげたものの、司会者からは見えづらかったらしく、うーん、

まいっか、と思っていたんですが、


学芸員の方が気づいていて、講座が終わったあとこちらの席まで

来てくださったことが印象的だった。


しかしこんな質問で申し訳ない(笑)。


戦争画というものがあったことを知ったのも2年くらい前で、

藤田嗣治の東京都美術館に永久寄託(この言葉で合っているかな?)されている、


黒い戦争画をみたのが始まりでした。


といって、そんなに研究しているわけでもなくて、東京国立近代美術館には戦争画の

展示が常設であって、そこの部屋に行くたびに、もっと調べよう、と思うんだけどすぐに

忘れちゃうのだ。


でもいい機会なので今度こそ調べてみるのだ。



これもパンフレットの画像なのですが、

きょうの講座でもふれられた、橋本八百二が同郷の年長の先輩でもある

萬鉄五郎を尊敬し、影響を受けてもいたという証拠(?)の絵。


形の変わった器や花瓶、花、葱とキュウリなど、構成もよく似ています。


こういうことも自分では絶対気づかないことで、


いつも思うのは学芸員さんのギャラリートークもそうなのだが、


どんだけその画家がすきなんですか!と驚嘆したいくらい、語れども語れども、

まだまだ語りたいことがある、伝えたいことがある、というふうなのです。


そんなに全部の画家が好きなわけはないと思うんですが、私なんか、たとえば、

フェルメールの絵がすきだ、バルテュスの絵がすきだとかいっても、全然知らないことばっかりで、

なんとなくすきだと言っているだけだというのを痛感する。


それでもいいんだけど、一歩踏み込んで調べてみると、もっと深く理解できてもっとすきになれるチャンスがあるのだ。






そしてほんとうに私のなんにも知らないっぷりも見事なものだ、と思ったのは、

橋本美術館ですよ。


私は息子が2歳前の夏に盛岡に引っ越してきて、その時から息子が小学校1年くらいまでは

よく動物公園に通っていたんだけど、


その途中で橋本美術館の看板をみたことがありながら、それと橋本八百二を重ね合わせたことも

なかったです。


もう私が盛岡に引っ越してきたときには閉館になっていたんですが、

知っていて通りかかるのと、知らないままなのでは違いますよね。


こんな私ですが、


きのう行った盛岡劇場の盛岡文士劇、その戦後まもなくの発起人が

鈴木彦次郎と橋本八百二、深澤清三だったことを盛岡文士劇のパンフレットで

知りました。


橋本八百二と鈴木彦次郎のつながりがここに!


さらに一歩踏み込んでみたらもっと意外なつながりがわかるかもしれない。



余談ですが、きのうの(きょうも2回公演なのですが)盛岡文士劇の

現代劇は盛岡のTVやラジオ局のアナウンサーが中心となり、


今回は小津安二郎の「麦秋」を下敷きにした「いっつもふたりで」でしたが、



その室内に飾られていた風景画が、私には、


橋本八百二の岩手山に見えたのですが、



いや絶対そうに違いないよ、とパンフレットを読んで確信しました(笑)。


橋本八百二は岩手県に公立の美術館を!という運動の中心となったひとでもあり、

画家であり、県議会議員でもあり、岩手の芸術・文化振興に尽力したひとでもありました。


講座の最後に、YouTubeで見つけたという50年まえの8ミリ(といってもそのYouTubeにアップされた番組自体がすでに何年も前のものなので60年前近いことになるのでしょうか)には、


当時の岩手ではめずらしかった洋画を描く若き日の橋本八百二と、彼をものめずらしそうに取り巻く純朴そうな子どもたちの姿もあり、


橋本八百二の蓬髪にぼうぼうの髭、痩せた体に着流しで洋画を描く様子に、なぜか感動を覚えた。


「宮澤賢治に聞く」のなかで井上ひさしが、作家には作品だけではなく、その作者の人となりを知ることで作品の味わいも一層増す、その方がおもしろくなるというタイプの作家がいて、太宰治と並んで宮沢賢治もそうだ、


と語っていてすごく共感したのですが、


郷土の画家たちについて、その人の画業と共にどういう人だったのかを知ることは、絵をもっとおもしろく感じることが出来ることだなあと思った私でした。


ではでは☆